2017/6/19 月曜日

ヤブ

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古くは医師のことを【薬師:くすし】と呼んでいました。
南北朝後期から室町初期にかけて作られた書物・庭訓往来では、藪薬師という語句が登場し、三流医師の意味で使われています。
当時の狂言でも『薬種も知らぬ やぶくすし』と、揶揄の表現があったようです。

藪とは雑草や丈の低い雑木が密生している場所や竹薮の呼称で、それが腕の悪い医師とどう結びついたのでしょうか。

『ヤブ』は、元々『野巫』からきているのではないかといいます。

野巫、つまり巫医です。
医療が未発達だった時代は、呪術、祈祷、まじないによって病魔を追い払うことが治療行為でした。

気を確かに持つことで自然治癒力が促進され、治ることもあるでしょうが、中にはもちろん そのような手法では決して根治しない疾病もあります。

時代と共に少しずつ医療といえる領域が広がっていくに連れ、巫医はすたれていくわけですが、そのようなところから治療の下手な医師(薬師)のことを『野巫医者』と呼ぶようになったのだそうです。

藪の字が当てられたのは、野巫が人里離れた草深い田舎に住んでいるイメージから、生い茂る藪を連想させたところにあるのではないかと考えられています。

ヤブ医者とさえも言えないほど低レベルの者は、俗にタケノコ医者と軽んじられます。
『(竹)藪にもなれない』というところからきているようです。

2017/5/15 月曜日

刃物

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どうにもこうにも気の合わない、ギクシャクした状態のことを『反りが合わない』といいます。

『反り』とは、書いて字のごとく『反っていること』ですが、本来は“太刀”“刀”“脇差”“短刀”などの刀剣類に使われる表現です。
これらの刀剣類の湾曲部分が『反り』で、【鋒:ほこ】の先端と【棟区:むねまち】を結ぶ直線と、刀身との距離の最大のところの呼び名です。
刀身の『反り』は、1本 1本 すべて異なるため、【鞘:さや】も それぞれの刀身が きちんと収まるものを作ります。
つまり刀剣類というのは、他のものの鞘には決して合わないのです。

このことから、気心が合わない、しっくりいかないといった、収まりの悪い間柄を『反りが合わない』というようになりました。

江戸時代初期にできた【戯言養気集:ざげんようきしゅう】の上巻に、
「反りが合わぬ所あるを見るにつけても…」
との記述があり、その頃から すでに『気心が合わない』という意味で用いらていたようです。

その一方で、『気心が合うこと』を『反りが合う』ともいいます。
この表現は江戸時代中期の滑稽本の中に見られますが、次第に使われることが少なくなっているせいか、近年では『反りが合わない』という語句に較べて見聞きする機会が減っているかもしれません。

2017/4/17 月曜日

船に乗り、風に乗り…

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日本では“菜の花蝶”という別名があるように、モンシロチョウはナノハナ、キャベツ、ダイコンなどのアブラナ科の植物を好みます。
古くは南ヨーロッパに生息していた このチョウは、現在、北アメリカからアジア、オーストラリア、ニュージーランドと、とても広い分布域が特徴です。

モンシロチョウが分布を広げていったのは、キャベツに紛れて船積みされたためではないかと唱えた昆虫学者がいます。
キャベツは地中海沿岸やヨーロッパの西海岸に自生していた植物でしたが、人の手によって栽培品種に改良され、大航海時代の16世紀以降は北アメリカや中国にまで普及した野菜です。

日本への伝来は18世紀初頭といわれます。
このとき、モンシロチョウはキャベツと一緒にやってきたのかもしれません。

また、自力で海を渡って来たという説も有力です。
チョウという昆虫は ときに大群を作って大移動をする性質があり、モンシロチョウも例外ではありません。

1988年7月19日から3日間、中国内陸部の甘粛省の興隆山でモンシロチョウと見られるチョウが夥しい大群を構成し、幅約100メートルにもなる渓谷を埋め、雪のように空を覆いつくしながら移動していったそうです。
【蝶雪】と呼ばれる現象だといいます。

このような群れの一部が偏西風に乗り、かつて日本へ辿りついた可能性も否定はできないようです。

2017/3/21 火曜日

良薬(ほど良く)口に苦し

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魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように甘い。
そう語られ、世界各国で飲用されているコーヒーは、11世紀にアラブ諸国で飲まれ始めたものです。
『一種の薬として胃によい』とされ、その頃は乾燥させた生豆を砕いて煮出した、今のコーヒーとは まったく異なる飲み物だったといいます。
豆を焙煎してから煮出し、現在のような香りと苦味のある焦げ茶色の飲み物になったのは、13世紀半ば以降でのことでした。

コーヒーに含まれるカフェインやタンニンは快い刺激をもたらします。
コーランで飲酒を禁じられているイスラム教徒にはこの刺激が歓迎されたようで、日常の飲み物へと次第に変化していったのです。

中国から禅宗の僧によってもたらされた茶も、当初は薬用だったといいますから、同様の変遷があったのでしょう。

15世紀になってヨーロッパに伝わった頃、やはり最初は喉の炎症や風邪による発熱に効くとされ、コーヒーは薬に位置付けられていたようです。

コーヒーの木は数種類ありますが、エチオピアを原産とする“アラビアコーヒーノキ”が世界の生産の90%以上を占めています。
俗にいう“アラビカ種”です。

手軽なために広く普及したインスタントコーヒーを作り出したのは、実は日本の科学者でした。
加藤さとり という人物が 1901年(明治34年)に シカゴで作りました。
その後、アメリカ軍が兵士のために大量生産し、現在に至っているということです。

2017/2/13 月曜日

誘惑の春

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実際にはまだまだ寒い日々ながらも、立春が過ぎ、暦の上では春となりました。
少しずつ春の到来を知らせる津々浦々のニュースに、四季の移り変わりを感じる今日この頃です。
人々にとって新たな始まりの季節ともいえる春ですが、『春』という漢字を用いた言葉には、何故か『春画』『売春』等々いかがわしいものも見られます。

それらのルーツは陰陽五行説にありました。

宇宙間の万物を造っている相反する二つの気、陰・陽は、季節の変化にも当てはめられています。
冬は“陰 100%”とされ、陽の気が盛んになるにつれて春の訪れとなり、夏が“陽 100%”ということです。
陽の気の衰えと共に秋になり、そして また冬となるわけです。

中国最古の詩集であり儒学の経典でもあった《詩経》に、後漢の学者が『女は春に陽の気を感じて男を思い、男は秋に陰の気を感じて女を思う』と注釈を付けたものがあるといいます。
ここから、春になると女性が男声を追い求めるという捉え方となり、性的な意味合いを含んだ言葉には『春』の字が多用されるようになりました。
女性が男声の気を引くために色目を使うことを『秋波をおくる』といいますが、この背景にも陰陽五行説があるようです。

2017/1/10 火曜日

献上品

Filed under: 未分類 — アートメモリー @ 0:32:37

貨幣経済が浸透しきっていなかった時代、貴重な保存食だった“アワビ”が税として納められていたという記録があります。
主に干物だったようですが、蒸しアワビも利用されました。

干しアワビは、殻や内臓を取り除いた可食部分を薄く剥ぎ、水洗いの後に乾燥させて作ります。
水分が多少残っている生乾きの状態のときに重しをつけて伸ばし、細長くして、固くなるまで乾燥させたものが、税として献上されていたのです。
この献上品は あらたまった席での贈答品の印として、貨幣経済発達後の今日にも伝えられています。
お中元、お歳暮、結婚式などの引き出物などにつける“のし”として。

干しアワビを折りたたんだ四角い色紙に包んだものが、中世の上流階級の間で贈答用として用いられたのです。
武家の出陣、婚礼の祝儀、正月飾り等に使われていました。
時代を経るにつれ、黄色い紙で代用したもの、紙に水引をかけたものへと簡略化されるようになり、現在では殆どが印刷です。

平安時代の《延喜式》にもアワビを干す様子が記されているうえ、宗教行事の供物にもなっていました。
伊勢神宮への供え物として、今も昔ながらの製法で干しアワビは作られているそうです。

このアワビという貝は平たい殻ながらも巻貝の一種で、二枚貝のハマグリの殻のような“貝合わせ”ができません。
『磯のアワビの片想い』といわれる所以です。

2016/12/12 月曜日

水の理由

Filed under: 未分類 — アートメモリー @ 0:23:24

殆どの内服薬は、『水、あるいは白湯(さゆ)で飲むように』といわれています。
コーヒー、紅茶、緑茶、酒、ジュース、栄養ドリンク剤、牛乳には、それぞれカフェイン、タンニン、アルコール、糖、カルシウムなどの成分が含まれているため、内服薬の作用に影響が出る場合があるからです。

風邪薬をコーヒー、紅茶、緑茶、栄養ドリンク剤で服用すると、カフェインの摂取が過剰になります。
これは大半の風邪薬にカフェイン成分が含まれているためです。

抗生物質の類いは牛乳で内服すると薬効成分がカルシウムと結合し、吸収が阻害されてしまいます。

塩化リゾチウム系の消炎酵素を含むものやビフィズス菌は、40℃以上の“飲料”では酵素や菌が死んでしまい、意味を為さなくなります。

最近 耳にする機会が増えたものでは、降圧剤とグレープフルーツ・ジュースの取り合わせでしょうか。
高血圧の薬として幅広く用いられているカルシウム拮抗剤は、グレープフルーツ・ジュースで飲むと薬効成分の血中濃度が高くなり、血圧が下がりすぎてしまいます。

そのような諸々の背景から、内服薬は水か、ぬるい お湯で飲んでおけば無難だというわけです。
さらにちょっとした注意点は、薬がきちんと溶けるように“一定の分量の水”で飲むことです。

2016/11/28 月曜日

誤解

Filed under: 未分類 — アートメモリー @ 0:19:05

江戸時代初期の 1654年(承応3年)、長崎へ来日した中国の1人の禅僧が徳川家綱によって京都の宇治に土地を与えられ、黄檗宗の萬福寺を開きました。
この禅僧が隠元で、インゲンマメの名の元にもなっているという説があります。
隠元の来日は黄檗宗を伝える目的でしたが、そのときに持ち込んだマメが、そのまま彼の名にちなんでインゲンマメと呼ばれるようになったというのです。

ところが、実際には隠元が持ち込んだマメはインゲンマメではなく、すでに日本でも食べられていたフジマメという種類のものだったという説が今では有力です。

本当のインゲンマメは中米(メキシコ、ガテマラ、ホンジェラス等)を原産とし、17世紀後期にヨーロッパ全土へ普及していきました。
日本へは中国を経て渡来したといいますが、決して隠元が持ち込んだわけではなかったのです。

大根を漬け込んだタクアンも、平安時代から作られています。
『漬ける』というのは野菜の保存法の1つであることから【たくわえ漬け】とも呼ばれていたため、それが転じてタクアンという名称になっていったのだそうです。
タクアンも また、江戸時代の僧・沢庵が考案したものではなかったのです。

2016/11/14 月曜日

食べられません

Filed under: 未分類 — アートメモリー @ 0:27:48

山形ラーメンを御存知でしょうか。
山形県のラーメン?
もちろん山形県にも御自慢のラーメンはあるでしょうが、ここで申し上げる【山形ラーメン】は全国津々浦々に存在しています。

札幌ラーメン、喜多方ラーメン、博多ラーメンのように、山形県の御当地ラーメンというわけではありません。
元々は【拉麺】と綴る“中華そば”のラーメンではなく、ドイツ語の【Rahmen】です。

これはラーメン構造とも呼ぶ、建築構造形式の 1つです。
梁や柱で構成された鉄筋コンクリート造りや鉄骨造りの建造物で、節点が剛接合(完全に一体化された結合)の骨組みのことをいいます。
骨組み構造にはさまざまな種類があり、梁に相応する部分が山の形に折れ曲がっているものが【山形ラーメン】になります。

主桁と橋脚を剛結構造した橋を【ラーメン橋】といいます。
この『橋』の読み方は『はし』ではなく、『鉄橋』『橋脚』と同様に『キョウ』です。
『らーめんばし』では、まるで名物ラーメン屋街へ通じる橋のように聞こえてしまいますね。

2016/10/24 月曜日

逃避行

Filed under: 未分類 — アートメモリー @ 0:47:32

晴天に恵まれるシーズンの大安吉日ともなると、街中や電車の中に結婚式帰りと見受けられる方々が視界に入ります。
挙式の形態は多様化しているようですが、引き出物と思われる大きな紙袋を手にした留袖姿の御婦人というのは、やはり一定数お見かけするものです。
当の新郎・新婦は、新婚旅行へと出かけていくのでしょう。

新婚旅行はハネムーンといわれます。
もちろん この語句は『蜂蜜』の【honey】と『月』の【moon】から成る合成語です。
新婚の夫妻が ふたりきりで過ごすための『蜜のように甘い旅行』だと考えられがちですが、語源は まったく違います。

蜂蜜は栄養価の高い食品で、消化吸収も良く、古代ローマの時代からあった蜂蜜酒は長寿の酒として親しまれてきました。
その昔はスタミナ源の1つとされていたようです。
新婚の夫妻は子供が授かるように、ひと月の間 蜂蜜酒を飲み続けたそうで、それがハネムーンの語源になったといいます。

また、古代スカンジナビアでは略奪婚が主流であったため、娘を(花嫁として)奪い去った若者は、娘の父親から赦しを得られるまで ふたりで逃避行を続けたのです。
気象条件も厳しいスカンジナビアですから、その間の栄養補給としても蜂蜜酒は重宝されました。

ハネムーンと称して新婚の夫妻が旅行に出かけるのは、そういった風習の名残だと考えられているのです。

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