» 2011 » 12月

2011/12/26 月曜日

健康優先

Filed under: 未分類 — アートメモリー @ 0:47:49

飲酒によって摂取されたアルコールは血液に運ばれ、最終的に肝臓へ集まります。
アルコールは肝臓でアセトアルデヒド、酢酸、水、二酸化炭素に分解され、汗や尿として体外に排泄されます。

このアセトアルデヒドは毒性が強く なかなか分解されにくい厄介な成分で、肝臓の処理能力を超過した場合、分解されないままの状態で体内を巡ってしまうのです。
すると、頭痛、吐き気、動悸、発汗などの不快症状が出ます。
大酒を飲み、翌日まで このような不快症状を持ち越してしまうのが、俗にいう“二日酔い”です。
そんな二日酔いを早く治すには、風呂やサウナで汗を流すのがと良いとか、糖分を摂取するのが一番だとか、利尿作用のあるカフェイン飲料が役立つ等々、いろいろ いわれています。
アセトアルデヒドは約12時間ほどで水と二酸化炭素に分解されるため、実は水分補給をして、ジタバタせずに休んでいるほうが良いのだそうです。

体質的に酒を飲めないという人は、このアセトアルデヒドを分解するための酵素を持っていません。
したがって、ごく少量の酒でも不快症状が出てしまいます。

俗に云われる『二日酔いに迎え酒』は、まったくのデタラメです。
きっと、なにがなんでも理由をつけて酒を飲まなくては気がすまない酒好きが、いつの世にも存在したのでしょう。
二日酔いのとき さらに酒を飲むと、もちろん また酔います。
酔いが回れば気分は良くなり、神経が麻痺した状態になれば、頭痛や不快感を『感じなくなる』だけにすぎません。
火傷した箇所に お湯をかけるようなことなので、決して褒められたことではなく、健康面でも好ましくないわけです。
飲酒の機会が増える季節ですから、無茶をせず、楽しい酒にしていきたいものです。

2011/12/12 月曜日

煩雑

Filed under: 未分類 — アートメモリー @ 0:41:00

江戸中期の元禄15年12月14日(1703年1月30日)、正確には日付が変わった翌日の未明、元禄赤穂事件が起こりました。
300余年を経た現代でも、この時季になると忠臣蔵として、テレビのドラマや歴史検証などの番組で取り上げられることの多い出来事です。

仇討ち、敵討ちの代名詞のようになっていますが、実は これ、厳密には“事件”であり、当時の法に則った仇討ちではありません。
仇討ちは法制化され、かなり細かい点まで決められていたもので、なかなか厄介な手続きが必要なものでした。

まず、武士であることが条件で、いわゆる町人には原則として許可されません。
そして『目上の者の仇を、目下の者が討つ』
つまり“親の仇討ち”は成立しても、“子の仇討ち”は成立しなかったのです。
また、より濃い関係の者が討ち手となるため、子がいる場合は(実子 ・ 養子を問わず)家臣が代わって討つことも許可されませんでした。
領内の主君から許可を得て、さらには主君が幕府へ その旨の届出をし、ようやく藩外へ出ることが かないます。
仇を捜し当てて討つまでは帰れません。
自身の藩を離れている間は、当然ながら藩からの手当て(給金)も出ません。
討ち取るべき相手(仇)から返り討ちに遭った場合、さらに討ち手の身内が その仇を討つことも禁止されていました。
助太刀(討ち手の協力者)も前もって登録しておく必要があり、急遽その場で『助太刀 致す』などといった加勢もできません。

たいへん厄介なことではあったものの、嫡子は仇討ちをしないと家を嗣ぐに不相応との風潮もあり、仇討ちに出れば家は逼迫、出なければ廃嫡といった板ばさみの側面もあったようです。
正確な統計は残っていないそうですが、逃げた仇を捜し当てて討ち取る確率は決して高くなかったといわれています。

元禄赤穂事件が正式な仇討ちにならないのは、浅野内匠頭長矩は殿中刃傷に及んだために切腹を命じられたのであって、吉良上野介義央が直接殺害したわけではないからです。

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