» 2008 » 12月

2008/12/15 月曜日

あばた へ ほくろ

Filed under: 未分類 — アートメモリー @ 1:14:25

「おいくつですか?」
「ちょうど30になりました」
年齢を少々若く偽ってはみたものの、そう答えた彼女の肩には種痘の跡が……。

人類が根絶させた感染症といわれる天然痘は、1976年以降、予防接種が廃止されました。
つまり、いまどきの若年層の方々には種痘(ワクチン接種)の跡がないのです。

その感染力の強さから かつて たいへん恐れられた天然痘は、運良く治癒した場合も瘢痕が残り、“あばた面”などといわれる容貌になってしまうことが多々あったようです。

しかし人間という生物は、これで なかなか。
転んでもタダでは起きません。
そのような背景から発祥したと考えられている“お洒落”が、17世紀ヨーロッパで流行した“つけぼくろ”でした。

顔にできた天然痘やニキビや傷の跡を上手く隠すため、黒い絹や紙を好みの形に切り抜き糊で貼りつけたことに端を発し、いつのまにか流行り、すっかりファッションとして定着したのです。
ブームとなれば乗り遅れまいとする者が増加するのは いつの時代も同様で、“つけぼくろ”は『つけています』とアピールすることが お洒落だったらしく、形状も星の形、月の形、ダイヤ形、ハート形といった わかりやすいものが好まれたといいます。
イギリスでは“パッチ / つぎはぎ”、フランスでは“ムーシュ / 蝿”と呼ばれ、貼りつける場所により いろいろな意味を持つものへとなっていきました。
目立つことこそが目的となったためか、鼻の先端や、左右のこめかみ、まるで仏像のように額の中央など、突飛な場所に貼りつけては、その お洒落度(?!)を主張していたのだそうです。

2008/12/1 月曜日

白から黒へ

Filed under: 未分類 — アートメモリー @ 0:52:53

古代の喪服は、麻や藤の皮の繊維で織った布を、染めずにそのまま仕立てたものでした。
これらは白っぽい生成りの色合いで、【素衣:あさごろも】【不知古路毛:ふじごろも】と呼ばれていました。

江戸時代に入ってからも、喪服といえば男性は麻の裃、女性は白無垢の着物とされていたため、葬儀の風景は現在とは まったく異なり、視界に飛び込んでくる色合いは“白っぽい風景”だったようです。

明治時代になると上流階級や富裕層には洋装が普及し始めます。
あらたまった席では黒いフロックコートやモーニングコートを着る男性が増え、女性も黒いドレスや黒留袖を着るようになっていきました。
西洋化という時代背景も大きな理由の1つですが、当時の一般庶民には決して浸透していたとはいえず、1940年代までは白い喪服が標準的なものだったのだそうです。

ところが第二次世界大戦の勃発による戦中・戦後の物資不足の中で、白装束の生地(絹や麻など)は極めて入手困難になってしまいます。
代用に着用されたのが、黒い洋服や和服だったのです。
黒は礼装用の色として認められていこともあり、ネクタイや小物を変えれば慶事にも弔事にも利用でき、なにかと便利でした。

その習慣が続いたまま現代に至り、礼服、特に喪服といえば“黒”と定着したわけです。

また、その昔は近親者であれば喪中の期間を ずっと喪服を着用して過ごすものでしたが、時代の変遷と共に それでは社会的な不都合が生じることから、今や殆ど儀式に着用するだけのものになっています。

(アルバート公を亡くした後のヴィクトリア女王が黒い服で過ごしたということは、よく知られている話です)

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