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国宝十一面観音像
 

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10月4日(第一日目) 午前、参加者は米原駅に集合。快晴。
JRで高月駅へ。車窓からはのどかな田園の風景、旅への期待も高まります。

駅で現地ボランティアのガイドさんと合流。正午前、早速タクシーで
渡岸寺観音堂(向源寺)
収蔵庫に、日本彫刻史上最高傑作とまで
謳われる国宝十一面観音菩薩立像が安置されています。
仏像を後ろから眺める機会はなかなかないですが、
ここでは周囲三六〇度からなめるように鑑賞することが出来ました。
 
旅はいきなり、一番良いとされる観音様との出会いで始まりましたが、この日は後でまだまだ驚かされることになるのでありました。
お隣の渡岸寺庵さんで昼食、興奮さめやらないうちに、タクシーに同乗して次の目的地へ。
     
  西野薬師堂では、人のよさそうなお爺さんが境内で日向ぼっこをしていると思ったら地元の管理人の方でした。お堂の鍵を開けて頂くと、中は薄暗いものの、薬師如来と十一面観音菩薩の二体のご本尊に対面することが出来ました。
薬師如来は薬壺をお持ちでないので、印相から判断すると阿弥陀如来かもしれない、とのことですが、いずれも木の一本作りで、簡素ながら存在感のある彫刻でした。

悠久を偲ばせる田圃の光景は、本当に美しいです。 数百年、もしかしたら一千年以上の時を、こうした観音様に見守られてきたこの土地には、浄土の空気が既に息づいているようです。

西野観音堂
 

千手千足観音
同じ西野の地にある湖東山正妙寺は、山を少し登った所にある小さなお堂でした十一面千手千足観音は、手だけではなく、足も沢山あるという、全国的にも類を見ない観音様です。表情はおどろおどろしく、百足を思わせるやや異形の相ですが、青の彩色や翡翠の緑、細かい飾り物が美しいです。
お堂のある高台には、西国三十三ヶ所を巡礼した尼僧が持ち帰った土を埋めたとされる地点があり、石が埋め込まれています。その上を一周すると、三十三ヶ所巡礼したのと同じご利益があるとか。
 
 


聖観音菩薩

続いて「コロリ観音」で有名な唐喜山赤後寺を訪ねました。

「コロリ」とは「転利」=「厄を転じて利となす」という意味ですが、いつしか、コロリと往生出来るという意味にもなり、地元の方々の崇敬を集めるお寺です。
お堂はよく管理されており、往時の武将たちの献納品も多く残っています。堂内ではまず、日光の陽明門を思わせる見事な作りの厨子が目をひきます。

ご本尊は聖観音菩薩と千手観音菩薩の二体。 戦乱の影響で手首から先が消失したお姿を「痛ましい」と何度も語る案内係の方のお話が印象的でした。薄暗い中でも、わずかに金箔の跡を残したお姿からは独特の威厳と力強さが感じられました。境内には、戦乱の際、里人がご本尊を川に隠した時に枕として用いたと伝わる石なども残っていました。

千手観音菩薩
 

さて観音様のお導きか、あまりにも天気に恵まれたので、予定を前倒しして賤ヶ岳に登り、奥琵琶湖の景観を一望することになりました。
山腹までリフトで登ってから、少し山道を登る途中、広大な琵琶湖の一部が、宝厳寺で有名な竹生島までよく見えました。 眼下に広がる湖面は、戦乱に明け暮れた時代の記憶を湛えながら、今は静かにきらきらと輝くばかりでした。山頂には古戦場の戦跡碑があり、余呉湖も一望出来ました。ガイドさんは歴史にもお詳しく、賤ヶ岳合戦のお話等を沢山聞かせて頂きました。

戦乱の世と、人々の心を支え続けた観音信仰とに思いをはせながら下山し、宿泊地である木ノ本方面へと向かいました。この辺り、古橋という地は石田三成の母方の家があった土地で、関ヶ原に敗れた三成が身を隠した所だそうです。
さて、日も傾き始めていましたが、さらに三つものお寺をまわることが出来ました。
 
己高山石道寺 己高山は湖北山岳仏教の中心として栄えた霊場だそうですが、隆盛を誇ったであろう寺院群は現在遺跡が残るのみで
伝来の仏像等が麓の村々で保存されてきたようです。
 

己高山石道寺 己高山は湖北山岳仏教の中心として栄えた霊場だそうですが、隆盛を誇ったであろう寺院群は現在遺跡が残るのみで、伝来の仏像等が麓の村々で保存されてきたようです。

石道寺のご本尊は、井上靖が「村の娘」と形容した十一面観音です。ふっくらしたお顔立ちに弓なりの眉と唇の朱はなるほど女性的で、娘らしくもありながら女神のような威厳も感じられました。 カセットテープの解説が流れる間、お子様を抱いて、一緒にじっと聞き入っておられた管理当番の方の姿も印象的でした。 この辺のお寺は住職もいないので、地元の方が共同で管理しており、地域が一丸となって守ってきたのです。 こうした管理当番の方は、普段の仕事の合間にも携帯で呼び出され、鍵を持って案内に来るそうで、大変なご苦労がしのばれます。

 

続いて霊応山観音寺にお参りしました。

こちらも行基菩薩にまで遡れる古刹ですが、一千年以上前からの信仰が受け継がれていることにはただただ驚くばかりです。
かつて保崎谷長者という人物の保護を受けた、この人物が後の黒田長政侯の祖先にあたるそうで、黒田観音寺とも呼ばれます。
ご本尊の千手観音は様々な法具をお持ちで、よく保存されています。 「村の娘」に対して、凛々しい青年のようで、きっと結ばれた口元や切れ長の目に高校球児のような純朴な面影があります。 ちなみに、この観音様は准胝観音のお姿に近いそうです。

  既に四時をまわりました。 残りの医王寺の当番の方と連絡がつかず、諦めて戻りかけた時、連絡がついて急遽拝観させて頂けることとなりました。 管理当番の方々の素朴な熱意にはつくづく頭の下がる思いです。

紫雲山医王寺へは吊り橋を渡りますが、渡った所にある大見神社も相当に由緒のありそうな神社でした。
医王寺の十一面観音は、明治時代に古物商の店頭にあったものを僧栄観が買い受けて持ち帰ったものだそうですが、かつてはやはり己高山の寺院にあったもののようです。 様々な飾りで飾られたお姿は華やかと言ってよいほどですが、夕方の光の中で見ても幸せそうなお顔が輝いているようで、往時から今に至るまでこの像を守り続けてきた人々の心をそのままに表しているようでした。

  一日目もあっという間に過ぎました。 導かれた、と言っては僭越ですが、秘仏と言ってよい、由緒ある観音様の数々に沢山のご縁を頂けたことは誠に有難いことでありました。

宿泊は地元第一の宿泊施設「己高庵」。閑静な佇まいの清潔な宿で、部屋も大浴場も立派で風情のあるものでした。 (つづく)

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