勢至菩薩(せいしぼさつ):知恵の偉大な力で人々の迷いを除く菩薩
勢至菩薩(梵名マハースターマプラープタ)は、正しくは、大勢至菩薩といい、知恵の偉大な力で人々の迷いを除く菩薩である。
観音菩薩とともに阿弥陀如来の脇侍となり、阿弥陀三尊を形成することで知られている。
この場合は、観音菩薩とほぼ同様の姿勢であるが、観音が宝冠の正面に阿弥陀化仏を標識として付けるのに対し、勢至菩薩は水瓶を表すのが特徴である。
『観無量寿経』に説かれるが、観音の慈悲に対して「知恵の光を持ってあまねく一切を照らして」て人々を救済するため、観音ほど信仰を得られていず、独尊像もすくない。
また、浄土信仰の高まりとともに流行する、来迎形式の阿弥陀三尊の場合では、観音菩薩が死者の霊をのせる蓮台を持つ姿に、勢至菩薩が合掌をする姿でつくられ、その姿勢には立像・坐像のほかに、京都・三千院像のように跪像(きぞう=ひざまづいた姿)も見られる。
さらに中世には、長野・善光寺の阿弥陀三尊への信仰が広がり、各地で善光寺式阿弥陀三尊とよぶ摸刻像が制作されるが、この場合、観音・勢至の両脇侍像は、両手を胸前で合わせる古様の姿に作られる。一方、密教では八大菩薩の一つとして、また現図胎蔵界曼荼羅では観音院に属する。
平成26年度午年守護本尊
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文殊菩薩
文殊は文殊師利(梵名マンジュシュリー)の略。
インドで生まれた実在の人物ともいわれ、諸菩薩の中でも特に重要な尊格であり普賢菩薩とともに釈迦如来の脇侍として表され、釈迦三尊を構成する。
その他、「知恵の文殊」や「3人寄れば文殊の知恵」ともいわれるように諸仏の知恵を象徴する菩薩としても著名で、学問成就や受験成就を願う学生が願かけを行うことでも知られている。
諸経典にはさまざまな説話がある。
『維摩(ゆいま)経』には、論客として知られた惟摩居士(ゆいまこじ)が病床にあって釈迦の説法場に参集できなかったため、釈迦が仏弟子たちに見舞いに行くよう命じたところ、論戦を恐れて誰も行きたがらない。
そこで釈迦の名代として文殊菩薩が訪ね、仏法について維摩と論戦を交えたという。
また『旧華厳経』で文殊菩薩の住所を「東北方の清涼山」と説くため、中国では北魏時代(398〜534)から山西省五台山が文殊の聖地清涼山に比定されて信仰を集め、やがてその信仰は円仁によって日本にもたれされた。
獅子に乗る文殊に、先導する善財童子、獅子の手綱をとる優填王(うでんおう)、これに仏陀波利三蔵と最勝老人が従う文殊五尊の形式は、特に「五台山文殊」と呼ばれる。
さらに発展して、雲に乗って海を渡り五台山に向かう「渡海文殊」も成立した。
とりわけ天台宗を中心に五台山信仰は盛んになった。
また『法華経』の「提婆達多品(だいばだったぽん)」では、竜王の8歳の娘が文殊菩薩の導きで男身となり、成仏したと説かれる(竜女成仏)。
一方、唐時代には文殊菩薩が知恵と戒律の師としても大いに尊敬を受け、これが僧侶の日常生活の手本として僧形で表された。
これを「僧形(聖僧)文殊」といい、寺内の食堂の本尊とされる事が多い。
鎌倉時代には、戒律を復興し釈迦信仰の重要性を叫んだ叡尊(えいそん)や忍性(にんしょう)らによって重んじられ、貧しい者のために宿を設け、そこに彫像や画像の文殊菩薩が祀られた。
さらに文殊の知恵は童子のように純粋無垢で執着のないことから、童子の姿で表すことも多く、近世には子供の姿をした「稚児文殊」なども制作された。
日本三文殊として、奈良・桜井の安倍文殊院、京都・天橋立の切戸の文殊(智恩寺)、京都・東山の黒谷(金戒光明寺)文殊堂の本尊が知られる。
一般によく知られている文殊菩薩像の形は、その知恵の威力を象徴するため獅子の背上に乗り、蓮華座に坐し、頭に五髻(ごけい・5つのもとどり)を結い、右手に知恵の象徴である剣を取る姿であるが、梵篋(ぼんきょう)、金剛杵(こんごうしょ)を立てた蓮台などを持つこともある。
さらに頭の髻の結び数には五髻のほか1髻・6髻・8髻の文殊があり、それぞれの真言の字数により一字・五字・六字・八字文殊と称するが、一字文殊は増益、五字文殊は敬愛、六字文殊は調伏、八字文殊は息災などの修法の本尊として迎えられる。
文殊菩薩に従う眷属(けんぞく)には、先述の五台山文殊の場合の善財童子・優填王・仏陀波利三蔵・最勝老人と、また八大童子として光網(こうもう)童子(光網菩薩)・宝冠童子(宝冠菩薩)・無垢光童子(無垢光菩薩)・髻設尼(けしに)童子・鳥波髻設尼(うばけしに)童子・質多羅(しったら)童子・地慧幢(ちえとう)童子・請召(しょうじょう)童子をあげることができる。
文殊菩薩の遺例としては、奈良・法隆寺五重塔の初層内に維摩(ゆいま)と文殊の問答の場面を塑像(そぞう)の群像で表したものが、奈良時代の古例。
奈良・興福寺の東金堂にも鎌倉時代の仏師定慶(じょうけい)作の維摩・文殊像がある。
五尊像としての造像は、平安時代の高知・竹林寺像、鎌倉時代の仏師快慶(かいけい)作の奈良・安倍文殊院像などがある。
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究極の救世主 弥勒菩薩
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お釈迦様が亡くなられた仏滅後 | 正法(しょうほう)教えが正しく行われる時代 500〜1000年が過ぎ 像法(ぞうほう)教えが形骸化 真に悟りを開く者はいない時代 1000年も過ぎ末法(まっぽう)仏法が滅して救いがたい世(いま現代)が1万年も続き、無仏という暗黒の時代がさらに続いた後、56億7千万年後に、ついに我らが弥勒菩薩が現れるのです こうして未来仏・弥勒菩薩は華林園の竜華樹下 悟りを開き「弥勒仏」となって、お釈迦様に代わり、この世界を救済して永遠の楽土に導いてくれます。 弥勒菩薩について アートメモリーオリジナル弥勒菩薩 |
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