アートメモリーのブログ、仏像カテゴリーのアーカイブ

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図像集とは


図像集(ずぞうしゅう)とは、仏像や仏画においてあらわされる仏・菩薩・天部・明王などの姿や印相を写し取り図像として収集したものです。
日本における最初の図像集は平安時代後期に京都・仁和寺の恵什により編纂された「図像抄」といわれています。


日時:2012年11月17日 10:23
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垂髪とは


垂髪(すいはつ)とは、菩薩像や天部像などにみられる肩にまで垂れ下がった毛髪のことをいい、「すいほつ」とも呼ばれます。
中国では南北朝の時代に、朝鮮半島でも三国時代の像にみられ、日本では法隆寺金堂釈迦三尊像の両脇侍に垂髪がみられます。


日時:2012年11月16日 10:14
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新羅明神とは


新羅明神(しんらみょうじん)とは滋賀県・園城寺の護法神のことです。
「寺門伝記補録」第一によれば、円珍の入唐求法の帰路の船上で、新羅の国の神が翁の姿であらわれ教法の護持を告げ、後に円珍は祠をつくりその姿を彫刻したといいます。


日時:2012年11月09日 17:14
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瞋目とは


瞋目(しんもく)とは、本来は怒った目または目を怒らせることをあらわす言葉ですが、仏教においては明王像や神将像の目頭部の輪郭を弧のかたちであらわした目の形式のことをさします。
中国の初唐の時期にこの表現が生まれ、日本では奈良時代から取り入れられ、以後形式化していきました。


日時:2012年11月07日 10:25
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神像とは


神像(しんぞう)とは、神道における礼拝の対象となる像のことです。
神道はもとは具象的な礼拝対象を持ちませんでしたが、神仏習合が強まる中、仏教の習慣の影響を受けつくられたと考えられており、通常は神社の中に建てられる寺院である神宮寺に安置されます。


日時:2012年11月06日 10:14
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深沙大将とは


深沙大将(じんじゃだいしょう)とは、多聞天の化身として唐で信仰された神のことです。
玄奘三が天竺へ向かう途中に、西域の沙河で遭難したとき、その夢中にあらわれたとされています。


日時:2012年11月05日 10:07
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真言天台祖師影図像とは


真言天台祖師影図像(しんごんてんだいそしえいずぞう)とは、京都曼殊院蔵の真言・天台の両宗の祖師・高僧の頭部のみを描いた白描の図像です。
鎌倉時代後期の筆書で、奥書には1278年・円親筆とされています。
全身ではなく頭部だけの図像であり、祖師絵制作のための紙型にあたるものと考えられています。



心覚とは


心覚(しんかく)とは平安時代末期に活躍した真言僧・図像家です。
広く諸流の諸尊を網羅した「別尊雑記」が有名であり、その他にも多くの著作を遺しています。
平実親の息子であり、宰相阿闍梨・仏種房・常喜院阿闍梨などの字を号しました。


日時:2012年10月30日 10:55
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信海とは


信海(しんかい)とは鎌倉時代後期に活躍した絵仏師です。
遺品として京都醍醐寺伝来の白描図像の不動明王像、毘沙門天像、金剛童子像がありますが、これら以外は遺されていません。
その経歴は謎とされてきましたが、真言宗小野流の京都・随心院の僧であり、似絵の名手として知られる藤原信実の息子であることが判明しました。


日時:2012年10月29日 10:45
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如拙とは


如拙(じょせつ)とは室町時代前期に活躍した画僧です。
詳細な伝は不明ですが、足利将軍家と密な関係を持ち、京都の相国寺を中心として多くの名のある禅僧と交友関係にあったことが知られています。


日時:2012年10月20日 16:10
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相李田次麻呂とは


相李田次麻呂(しょうりのたつぎまろ)とは、奈良時代に活躍した画工または仏工です。
相李魚成(同時代に活躍した伎楽面作者)の同族といわれています。
「正倉院文書」によれば紀部荒嶋や河内久治良らと三論宗厨子の彩色を行ったと記されています。


日時:2012年10月19日 16:02
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相李魚成とは


相李魚成(しょうりのうおなり)とは、奈良時代に活躍した伎楽面作者です。
東大寺大仏開眼供養の日付(754年4月9日)での自らの名前を記す面が多くのこされており、乾漆製の面には「相李魚成」と、木彫の面には「将李魚成」と書き分けがされています。


日時:2012年10月12日 16:17
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正面観照性とは


正面観照性(しょうめんかんしょうせい)とは人物や偶像の原始的な表現法のことで、直立不動の体躯に左右相称で観る者が真正面から観ることのみを意識していることをいいます。
中国では南北朝までこの傾向がみられ、日本でも飛鳥時代や七世紀前半には取り入れられ、法隆寺金堂・釈迦三尊像などを典型とし作例がみられます。


日時:2012年10月11日 10:22
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聖宝とは


聖宝(しょうぼう)とは平安時代前期に活躍した真言宗の僧です。
京都醍醐寺の開山であり、真言宗事相の一派小野流を開きました。
また山野を好み、役小角を慕い、後世に修験道の中興の祖といわれました。


日時:2012年10月10日 10:10
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小仏師とは


小仏師(しょうぶっし)とは、大仏師のもとで仏像制作にかかわる工人のことをいいます。
その区分は、奈良時代の官営工房内の長上工と番上工の区分が源流にあるとされています。
東大寺要録によれば、「907年、東大寺講堂像再建に際し、会理が小仏師五十人余を率いた」とあり、小仏師が文献にあらわれる初見とされています。


日時:2012年10月06日 11:00
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条帛とは


条帛(じょうはく)とは、仏像の左肩から斜めに垂らし、左脇を通り背面から一周し左肩へかけて結ぶたすき状の布のことで、主に大日如来や菩薩、明王像でみられます。
もとはインドの服制に基づいているとされ、インドの仏像に源流があるとされています。


日時:2012年10月05日 10:53
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浄土五祖とは


浄土五祖(じょうどごそ)とは浄土教の五人の祖師(曇鸞・道綽・善導・懐感・少康)のことです。
しかしこれは中国で相承として確立されたものではなく、法然が作りだした概念と考えられており、その背景には「浄土宗には定まれる相伝なし」などの批判に応える意味があったとされています。


日時:2012年10月02日 10:35
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称徳天皇御願一切経とは


称徳天皇御願一切経(しょうとくてんのうごがんいっさいきょう)とは、称徳天皇が先帝淳仁天皇のために発願し書写させた一切経のことです。巻末の発願文に神護景雲二年五月十三日という日付が記されていることから「景雲経」とも呼ばれます。
かつま紙を使用しており、奈良時代後期を代表する古写経のひとつとして知られています。



聖徳太子勝鬘経講讃図


聖徳太子勝鬘経講讃図(しょうとくたいししょうまんぎょうこうさんず)とは、聖徳太子が35歳のときに勝鬘経を講讃した様子を描いた図のことです。
1069年制作の法隆寺東院絵殿・聖徳太子絵伝にその様子を描いたものがみられ、平安時代後期頃から独立した画像として制作されるようになっていったとされています。
有名な作例としては兵庫・斑鳩寺本や絵仏師の尊智が描いたとされる法隆寺本などがあります。



聖徳太子絵伝とは


聖徳太子絵伝(しょうとくたいしえでん)とは、聖徳太子の伝記を絵画であらわしたものです。
文献によれば771年に大阪・四天王寺に作られた障子絵が最古のものといわれており、また現存する最古の作例は東京国立博物館蔵の、1069年に法隆寺東院絵殿に秦到貞が描いたものとされています。
鎌倉時代には親鸞が聖徳太子を崇拝し、また多くの宗派から日本仏教の祖として崇められたため、絵伝の制作が盛んとなりました。


日時:2012年09月28日 10:51
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勝道とは


勝道(しょうどう)とは奈良時代末から平安時代初期にかけて活躍した僧で、日光山の開山です。
761年に薬師寺で受戒し、767年に日光山に向かい15年をかけ男体山頂を極め、784年に中腹の湖畔に中禅寺を開きました。


日時:2012年09月22日 11:49
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定智とは


定智(じょうち)とは、平安時代後期に活躍した絵仏師で、帥上座・帥君・長覚房などと呼ばれました。
滋賀・三井寺法輪院を中心に、鳥羽僧正覚猷の図像収集に協力したとされています。
事蹟として、高野山大伝法院七間四面二階堂の東西後壁や金剛峯寺・善女竜王像などが有名です。


日時:2012年09月21日 11:30
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聖皇曼荼羅図とは


聖皇曼荼羅図(しょうこうまんだらず)とは、奈良県法隆寺蔵の聖徳太子を中心にまわりにゆかりの人物を配置した図像です。
「法隆寺縁起白拍子」・「法隆寺仏像記」などによると、法隆寺聖霊院の顕真が1254年に絵仏師の尭尊に描かせたとされています。


日時:2012年09月14日 11:10
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定慶とは


定慶(じょうけい)とは、鎌倉時代前期に活躍した仏師です。
康慶の弟子といわれていますが定かではなく、遺品から運慶・快慶と同世代の慶派の仏師とみられています。
定慶の銘をもつ作品としては春日大社・舞楽面散手、興福寺東金堂・維摩居士坐像、興福寺東金堂・梵天像、興福寺東金堂・帝釈天像などがあげられます。


日時:2012年09月12日 11:33
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祥啓とは


祥啓(しょうけい)とは室町時代(15世紀後半〜16世紀前半)にかけて活躍した画僧です。
貧楽斎という斎号のほか、建長寺で書紀を務めたため啓書紀とも呼ばれています。
はじめ仲安真康に学んだ後、芸阿弥に師事します。
画僧としては主に道釈人物画を描きましたが、山水画や花鳥画にも優れた作品を多くのこしています。


日時:2012年09月11日 11:26
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将軍万福とは


将軍万福(しょうぐんまんぷく)とは奈良時代に活躍した仏師です。
734年に光明皇后が母である橘三千代追福のために建立した興福寺西金堂・釈迦集会像の制作に携わったことが「正倉院文書」に記されています。
また興福寺国宝館収蔵の十大弟子像や八部衆像なども将軍万福の作と比定されています。


日時:2012年09月10日 14:52
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常瞿梨童女とは


常瞿梨(じょうぐり)とは、毒害を治療する医者という意味を持つサンスクリット語の「ジャーングリー」を音写した言葉で、常瞿梨童女(じょうぐりどうにょ)は衆生の毒を除くとして信仰される尊格です。
「観自在菩薩化身蘘麌哩曳童女銷伏毒害陀羅尼経」によれば観音菩薩の化身とされており、雪山の北方にある妙香山に住むといわれています。
そのすがたは童女形であらわされ、七面四臂像、一面二臂像、三面六臂像などがみられます。


日時:2012年09月09日 14:42
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常暁とは


常暁(じょうぎょう)とは平安時代中期に活躍した真言僧で、入唐八家の一人です。
815年に東大寺で具足戒を受けた後、空海のもとで灌頂を受けました。
また836年には詔を受け円仁らとともに唐に渡りました。


日時:2012年09月08日 14:34
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定覚とは


定覚(じょうかく)とは鎌倉時代前期に活躍した仏師で、康慶の次男・運慶の弟と伝えられています。
単独での遺品はのこされておらず、事蹟として1194年東大寺中門二天像の持国天、1196年大仏殿脇待如意輪観音像などがあります。
また1180年の南都焼打後の東大寺復興では、康慶・運慶・快慶とともに大仏師として活躍しました。


日時:2012年09月07日 14:26
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乗円とは


乗円(じょうえん)とは南北朝時代に南東北で活躍した仏師のことです。
その名から円派仏師であることがうかがわれますが、作品は土着的な性質が強いため、在地の仏師ではないかという見方もされています。
遺品として、真福寺・地蔵菩薩坐像や善性寺・阿弥陀如来坐像などが福島県に遺されています。


日時:2012年09月01日 10:56
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請雨経曼荼羅とは


請雨経曼荼羅(しょううぎょうまんだら)とは、雨乞いの修法である請雨経法を修する際の本尊のことです。
空海が修したことがはじまりとされており、京都・曼荼羅寺の仁海は雨僧正と呼ばれるほどの法力があったと伝えられています。
修法が終わった後に曼荼羅を破棄してしまうという原則があるため、わずかに図像がのこるのみで、古い本画遺品はのこされていません。


日時:2012年08月31日 10:44
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淳祐とは


淳祐(しゅんゆう)とは、平安時代中期の真言宗の僧・学匠です。
925年に奈良・般若字で伝法灌頂を授かりますが、後に病弱と体の不自由を理由に醍醐寺座主職を断り、石山寺普賢院に隠棲し、密観・著作を専らとしました。
また、淳祐が書写した経典である「薫の聖教」は石山寺の宝物とされています。


日時:2012年08月30日 16:21
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春屋妙葩とは


春屋妙葩(しゅんおくみょうは)とは、南北朝時代に活躍した甲斐平氏出身の僧で、夢窓疎石の甥にあたります。
夢窓について得度し、その後も夢窓に従い、1345年に春屋の号を授けられ印可を得ます。
また1379年には南禅寺の住持となり、足利義満により日本で初めての僧録司となりました。


日時:2012年08月29日 16:05
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守門神とは


守門神(しゅもんしん)とは盗賊や悪意のあるものから守護をしてくれるとされる守護神で、サンスクリット語でドヴァーラパーラといいます。
特定の尊格をもたず下級神として扱われます。
その最初期の作例として、バールフットやサーンチーなどの仏塔欄楯や塔門に聖域の守護神としてあらわれます。


日時:2012年08月28日 15:56
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出山釈迦とは


出山釈迦(しゅっさんしゃか)とは、雪山における長き苦行を試みるも成道に至らず、苦行では成道できないことを悟り、山を降り尼連禅河に向かう釈迦の姿をあらわしたものです。
その作例としては、中国で北宋初期の画家・王靄による制作が文献に残り、また南宋後期から禅院を中心に多くの作例が遺されています。


日時:2012年08月27日 15:37
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首題本尊とは


首題本尊(しゅだいほんぞん)とは、日蓮が創始した書跡(文字)の本尊で、題目本尊とも呼ばれます。
その形式は「南無妙法蓮華経」の題目を中央に配置し、脇に諸尊を配置する例もあります。
曼荼羅本尊とならび、日蓮宗の法本尊を代表します。


日時:2012年08月26日 15:02
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種子曼荼羅とは


種子曼荼羅(しゅじまんだら)とは、仏や菩薩を図像ではなく、その種子つまり梵字であらわした曼荼羅のことです。
文字のみで表現される曼荼羅なので、法曼荼羅とも呼ばれます。
通常は墨筆のみでつくられますが、まれに金銀泥でつくられる豪華なものもあります。


日時:2012年08月25日 14:49
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種子とは


種子(しゅじ・しゅうじ)とは、サンスクリット語のビージャという言葉の漢訳であり、正確には種子字といわれます。
種子は植物の種にたとえ、あらゆるものの根源を意味します。
唯識では「しゅうじ」と読み一切諸法の根源とされ、密教では「しゅじ」と読み、尊格や教義を一音節の梵字であらわします。


日時:2012年08月24日 12:10
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守護尊とは


守護尊(しゅごそん)とは、インド後期密教の密教仏がチベット仏教に入ったもので、チベット語ではイダム(誓言の神)といいます。
その多くはヤブユム(父母仏)であり、それゆえ灌頂を受けたもののみ開帳するべきであるとされ、一般信者が参拝する場所では目にする機会は多くありません。


日時:2012年08月23日 11:27
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修験道とは


修験道(しゅげんどう)とは、山岳を信仰し山へ籠り修行を行うことにより霊験を得ようとする仏教の一派です。
日本における修験道は、山岳信仰や道教、神道などが混合し、そこに天台や真言の密教が習合し組織化されていきました。
素の開祖は役子角とされており、大峰・葛城・金峯・熊野三山が根本道場とされています。
その後、江戸時代に幕府の命令により、京都・醍醐三宝院を本山とする当山派と京都・聖護院に属する本山派に二分されました。


日時:2012年08月22日 11:17
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宿院仏師とは


宿院仏師(しゅくいんぶっし)とは、室町時代後期に南都宿院に住した俗人仏師集団のことです。
仏師のもとで下請け作業を担う番匠から発生したと考えられており、仏師の補助的作業を行いつつ、その指導を受け技術を習得し独立したものとされています。
宿院仏師を名乗る初見は1545年、奈良東田薬師堂釈迦・阿弥陀如来坐像を制作した源次、源次郎であるとされています。


日時:2012年08月21日 10:57
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十六大菩薩とは


十六大菩薩(じゅうろくだいぼさつ)とは「初会金剛頂経」のなかで説かれる金剛界曼荼羅で、阿閃・宝生・阿弥陀・不空成就の四仏の四方にあらわれる四親近菩薩の総称です。

阿閃如来(東輪)の四親近 … 金剛薩睡・金剛愛・金剛王・金剛喜
宝生如来(南輪)の四親近 … 金剛宝・金剛幢・金剛光・金剛咲
阿弥陀如来(西輪)の四親近 … 金剛法・金剛因・金剛利・金剛語
不空成就如来(北輪)の四親近 … 金剛業・金剛牙・金剛護・金剛拳


日時:2012年08月20日 10:47
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十六大護とは


十六大護(じゅうろくだいご)とは、「転法輪菩薩摧魔怨敵法」などで説かれる国土や国王そして密教諸法の守護神です。

十大薬叉…毘首羯摩(びしゅかつま)、却比羅(ごうびら)、法護(ほうご)、肩目(けんもく)、広目(こうもく)、護軍(ごぐん)、珠賢(しゅけん)、満賢(まんけん)、持明(じみょう)、阿た縛倶(あたばく)
三大竜王…縛蘇枳(ばくそき)、蘇摩那(そまな)、補沙毘摩(ふさびま)
三大天后…訶梨帝母(かりていも)、翳羅縛多(えいらばくた)、双目(そうもく)


日時:2012年08月04日 10:52
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十羅刹女とは


十羅刹女(じゅうらせつにょ)とは、「法華経」陀羅尼品で説かれる、鬼子母神とともに「法華経」を受持するものを守護する護法善神です。
そのすがたは唐装の天女もしくは和装であらわされ、兵庫県・鶴林寺太子堂の柱絵や平家納経などに作例がみられます。
しかし、単独でえがかれることは多くはありません。


日時:2012年08月03日 10:31
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周文とは


周文(しゅうぶん)とは、室町時代中期に活躍した画僧で、字を天章といい、越渓とも号します。
如拙の後を継ぎ、足利義教の御用絵師となり後に朝鮮派遣使節にも加わりました。
また、弟子として岳翁や墨渓、雪舟などを育て、室町時代水墨山水画に大きな影響を与えました。


日時:2012年08月02日 10:33
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繍仏とは


繍仏(しゅうぶつ)とは、刺繍により仏像などをあらわしたものです。
その起源はインドにあり、中国では六朝時代から唐代にかけて盛んに制作されました。
日本では605年に作られた繍仏が最古のものとして文献にのこり、飛鳥・奈良時代にかけて大作が数多く制作されました。


日時:2012年08月01日 10:19
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十二天曼荼羅とは


十二天曼荼羅(じゅうにてんまんだら)とは十二天供(災害消除・国土安泰を願い行われる修法)の本尊である曼荼羅のことです。
通常は四臂不動明王を中尊とし、内院に中尊を、外院に帝釈天(東)・火天(東南)・焔魔天(南)・羅刹天(西南)・水天(西)・風天(西北)・毘沙門天(北)・伊舎那天(東北)を配置し、さらに帝釈天の上下に梵天・地天を、水天の上下に日天・月天を配置しますが、諸説があります。


日時:2012年07月30日 10:49
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十二光仏とは


十二光仏(じゅうにこうぶつ)とは、阿弥陀如来の光明の徳をあらわした十二の異名です。
日本では平安時代後期から、光背に化仏の形で造顕されることがあります。

無量光仏・無辺光仏・無碍光仏・無対光仏・焔王光仏・清浄光仏・歓喜光仏・智慧光仏・不断光仏仏・難思光仏・無称光仏・超日月光仏  


日時:2012年07月28日 15:31
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十二円覚菩薩とは


十二円覚菩薩(じゅうにえんがくぼさつ)とは、円覚経(正式には大方広円覚修多羅了義経)にあらわれる十二の菩薩の総称です。
円覚経では、十二円覚菩薩(文殊・普眼・普賢・金剛蔵・弥勒・清浄慧・威徳自在・弁音・浄諸業障・普覚・円覚・賢善首)が仏の教えをきく十二の菩薩となり法話が展開されます。


日時:2012年07月27日 10:53
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ジャンバラとは


ジャンバラとは八〜九世紀頃、ビハールやベンガル、オリッサ地方などで盛んとなった後期密教の財宝神です。
インドでは現世利益をもたらす財宝神に対する信仰が古くからあり、それらが原型となりジャンバラが生み出されたといわれています。
その姿は一面二臂の鼓腹で、右手にシトロンの実を、左手にマングースを持ち、遊戯坐であらわされます。


日時:2012年07月26日 11:34
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ジャンコ・ポウバーとは


ネパールのカトマンズ地方に住むネワール族は、それぞれ77歳7月7日・88歳8月8日・99歳9月9日の日にブラ・ジャンコと呼ばれる老年式のお祝いをします。この際に飾られ、そして記念の品となるのがジャンコ・ポウバーという仏画です。
ジャンコ・ポウバーは中央にスヴァヤンブー仏塔を描き、その覆鉢部に77歳7月7日の日にはグラハ・マートリカーを、88歳8月8日の日にはヴァスダーラーを、99歳9月9日の日には仏頂尊勝母を描きます。



捨身飼虎とは


捨身飼虎(しゃしんしこ)とは、釈迦の前世の物語のひとつで、多く造形化されている主題のことです。
その内容は釈迦の前世である摩訶薩タ王子が飢えに苦しむ虎の母子に自らのからだを与え救ったというもので、中国では摩訶薩タ本生と訳されます。
多くの国で造形化されており、日本では法隆寺・玉虫厨子の須弥座の側面に描かれたものが有名です。


日時:2012年07月24日 10:49
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莎髻とは


莎髻(しゃけい)とは、不動明王の頭頂にある小さい髷のことです。
善無畏の講義を筆録した「大日経疏」にその存在が説かれています。
また不動十九相観(不動明王の観想法)では、不動明王の頭頂に七莎髻があり、悟りを得るにおいて有用な七つのことがらの七覚分法を転ずると説明されています。


日時:2012年07月23日 10:20
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寂静忿怒百尊とは


寂静忿怒百尊(じゃくじょうふんぬひゃくそん)とはチベット仏教四大宗派のひとつ、ニンマ派に伝承される尊格群のことで、寂静四十二尊と忿怒五十八尊からなります。
その構成はニンマ派に伝承される「マーヤジャーラ」十八大部所説の諸尊を取捨選択し、百尊にまとめたものになっています。


日時:2012年07月21日 11:14
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寂厳とは


寂厳(じゃくごん)とは、江戸時代中期に活躍した真言宗の僧で、悉曇学の権威として知られています。
悉曇とは梵語=サンスクリット語のことであり、著作として「大悉曇章稽古録」、「悉曇字記大観」、「梵漢阿弥陀経大観」などを遺しています。
また、梵字の書体など多くの書を遺し、高名な能書家としても知られています。


日時:2012年07月20日 17:26
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邪鬼とは


邪鬼(じゃき)とは仏法を護持する四天王の足元に踏まれている鬼のことです。
古くはインドにおいて紀元前二世紀のバールフット石柱の四天王の足元に邪鬼の造像がみられ、中国・朝鮮そして日本にも伝わりました。
日本では法隆寺金堂や東大寺戒壇院、法華堂などの四天王立像の足元にみられます。


日時:2012年07月19日 10:54
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釈迦八相図とは


釈迦八相図(しゃかはっそうず)とは、釈迦の生涯を事績を追い表現したものです。
日本ではこの名が一般的ですが、八相にどの事績を入れるかは諸説があります。
四相と呼ばれる、誕生・成道・初転法輪・涅槃の四大事に加え、下天托胎・誕生・試芸・出家・苦行・降魔・成道・初転法輪・涅槃の中から諸説が選ばれます。


日時:2012年07月18日 10:37
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釈迦苦行像とは


釈迦は出家後悟りの道を求めましたが、満足が得られず最後に極端な苦行を行ったといわれています。
これを主題にした像を釈迦苦行像(しゃかくぎょうぞう)といい、そのすがたは断食の末にやせ衰え、あばら骨もあらわなすがたであらわされます。
作例はインド内では見当たらず、中央アジアから中国、日本にかけて多くみられます。


日時:2012年07月13日 12:29
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釈迦金棺出現図とは


釈迦金棺出現図(しゃかきんかんしゅつげんず)とは、釈迦入滅後その遺体が金棺に納められた後に、釈迦の生母である摩耶夫人が天上からはせ参じ悲嘆にくれているところ、釈迦は神通力をもって棺の蓋をあけ摩耶夫人のために生滅の法を説いたといわれる「摩訶摩耶経」の説くところをえがいた絵画です。
日本では京都国立博物館本が現存最古の遺例であるとされています。


日時:2012年07月12日 10:50
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ジナとは


ジナとは、サンスクリット語で「勝利者」を意味します。
その派生語であるジャイナは、ジナの教え、ジナの教えの信奉者を意味し、ジャイナ教の開祖であるマハーヴィーラーを指します。
また、仏教における仏陀もジナと呼ばれることもあります。


日時:2012年07月11日 10:22
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実忠とは


実忠(じっちゅう)とは、奈良時代から平安時代初期にかけて活躍した東大寺の僧です。
その活動の中心は東大寺の造営事業にあり、修理別当という役があたえられていました。また、大仏の光背や百万塔を納める小塔殿の造営にもあたりました。
著作として「東大寺権別当実忠二十九ヶ条」があり、自らが携わった事業が列記してあります。


日時:2012年07月08日 12:57
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実眼とは


実眼(じつげん)とは、鎌倉時代前期に活躍したとされる仏師で、慶派仏師である康慶の弟であるといわれています。
興福寺の「南円堂御本尊以下御修理先例」によると、興福寺南円堂の諸仏の造像のうち、四天王像が実眼の手によるものであると記されています。


日時:2012年07月07日 12:00
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十界諸尊とは


十界諸尊(じっかいしょそん)とは、六道界・四聖界を輪廻転生する生類を守護・教化する仏・菩薩・明王・諸天善神たちのことです。
日蓮は法華経の教義と末法観に基づき、十界諸尊を本尊に勧請しました。
十界諸尊が墨書で掛幅装した本尊を大曼荼羅といい、板の大曼荼羅を板曼荼羅、絵像化したものを絵曼荼羅といいます。


日時:2012年07月06日 11:39
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実恵とは


実恵(じちえ・じつえ)とは平安時代初期の真言宗の僧です。
空海に師事し、810年に灌頂を授かりました。
817年に空海の命を受け、高野山に登り、開創の事業に従事し、後に空海が高野山に隠遁した後教王護国寺(東寺)の初代長者となりました。
また桧尾に観心寺を建立し、密教宣布の道場としたことから桧尾僧正とも呼ばれます。


日時:2012年07月04日 12:01
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熾盛光如来とは


熾盛光如来(しじょうこうにょらい)とは、「仏説熾盛光大威徳消災吉祥陀羅尼経」による、天変地異や自然災害にあたって除災招福の修法の本尊です。
その名の由来は、釈迦如来が教化のため憤怒相をあらわし、毛孔より熾盛の光明を放つことにあります。


日時:2012年07月03日 10:57
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四種曼荼羅とは


四種曼荼羅(ししゅまんだら)とは、真言密教の四種の曼荼羅の総称です。

大曼荼羅…諸尊を五大の原色を基調とし、彩色で図絵したもの
三昧耶曼荼羅…諸尊の誓願を象徴するものとして持物や印契を描いたもの
法曼荼羅…諸尊の真言・陀羅尼を集約した種子(梵字)であらわされるもの
羯磨曼荼羅…彫像などで構築される、諸尊の働きをあらわしたもの


日時:2012年07月02日 10:29
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獅子吼観音とは


獅子吼観音(ししくかんのん)とは、ヒンドゥー教のシヴァ神の化身のうちの一つが仏教に取り入れられ、観音となったものです。サンスクリット語で「シンハナーダ」といい、獅子のように咆哮するものという意味をもちます。
その姿は獅子の背中の上に右脚を立てた輪王坐で坐る姿であらわされ、右手には数珠を、左手には剣を上に載せた蓮華を持ちます。


日時:2012年07月01日 17:31
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慈円とは


慈円(じえん)とは鎌倉時代前期に活躍した天台宗の高僧です。
関白藤原忠通の子であり、13歳のときに出家し、38歳で天台座主になるとその後就任と辞任を繰り返し四度も座主を歴任しました。
史書である「愚管抄」をはじめとして多くの著作をのこしました。


日時:2012年06月30日 11:11
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慈雲とは


慈雲(じうん)とは、江戸時代後期に活躍した真言宗の高僧です。
真言正法律の祖であり、雲伝神道の開祖でもあります。
河内長栄寺において戒律を講じ、京都阿弥陀寺にて十善道を説き、「ひととなる道」・「十善法語」などの著作を遺しました。


日時:2012年06月29日 10:59
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三輪身とは


三輪身(さんりんじん)とは、密教においてひとつの仏があらわす三様の姿(自性輪身・正法輪身・教令輪身)を分類したものです。
自性輪身とは、それそのものが真理である仏の存在を指し、如来の姿であらわされます。
正法輪身とは、真理を衆生に説き、教化・救済する仏身であり、菩薩の姿であらわされます。
教令輪身とは、菩薩の身をもってさえも教化しえない衆生を忿怒相をもって折伏する役割であり、明王の姿であらわされます。


日時:2012年06月28日 10:39
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三面頭飾とは


三面頭飾(さんめんとうしょく)とは、菩薩像の頭部を装飾する宝冠のかたちのひとつで三面宝冠・三面宝飾ともいわれます。
天冠台の正面と両側面に三角形の形をした、立ちあがった飾りを取りつけます。
起源はインドにあるとされ、日本では七世紀後半前後の像にその作例が多く見られます。


日時:2012年06月27日 10:37
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三昧耶曼荼羅とは


三昧耶曼荼羅(さんまやまんだら)とは、諸仏の姿をそのまま描くかわりに、それぞれの尊格を象徴するもの(三昧耶形)であらわした曼荼羅です。
例として、大日如来は宝塔、金剛薩埵菩薩は五鈷杵、弥勒菩薩は水瓶などと各尊格固有の三昧耶形は決まっています。


日時:2012年06月26日 11:51
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山王権現とは


山王権現(さんのうごんげん)とは、山王神が神仏習合した神です。
山王神は比叡山東麓の日吉山王社に祀られる諸神で、天台宗の護法神であり叡山の地主神でもあります。
大山咋神を祭神とする東本宮と大己貴命を祭神とする西本宮と宇佐宮は山王三聖とよばれ、また多くの摂末社をくわえ、山王百八社と呼ばれます。


日時:2012年06月25日 10:50
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サンデジク・スムとは


サンデジク・スムとはチベット仏教の守護尊、「秘密集会タントラ」の阿閦金剛(グヒヤサマージャ)・チャクラサンヴァラ・ヴァジュラバイラヴァの三尊の総称です。
チベット仏教のゲルク派ではこの三尊の法を中心に学習し、これらを主尊とする立体曼陀羅をせいさくすることもありました。



三世仏とは


三世仏(さんぜぶつ)とは、過去・現在・未来における教化仏のことです。
一般的には釈迦如来・薬師如来・阿弥陀如来の三如来があてられ、三世如来・三世之教王・三仏などとも称されます。


日時:2012年06月23日 10:33
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散聖とは


散聖(さんせい)とは、世俗を捨てた人に対する尊称です。
また、禅宗において正当な法系に属さずも、その行いが人々に仏心を呼び起こす人物のことを散聖・応化聖賢といい、その例として寒山・拾得、布袋、猪頭和尚などがあげられます。


日時:2012年06月22日 10:22
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三身仏とは


三身仏(さんじんぶつ)とは、三身(法身・報身・応身)それぞれに具体的な尊格をつけ、三尊形式にしたもののことをいます。

法身…毘盧遮那仏
報身…盧遮那仏
応身…釈迦牟尼仏


日時:2012年06月21日 11:04
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三身とは


三身(さんじん)とは、大乗仏教における三種の仏の身体のこと(法身・報身・応身)です。
法身とは永遠不変の絶対的真理そのものです。
報身とは修行・実践をへてその報いを得る仏身です。
応身とは衆生を導くため、そのまえにあらわれる仏身です。


日時:2012年06月20日 10:41
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三十二相とは


三十二相(さんじゅうにそう)とは、如来のからだにそなわる、すぐれた三十二の外見的特徴の総称であり、大人相ともいわれます。
八十種好(はちじっしゅこう:三十二相をさらに細かく記したもの)とあわせて三十二相八十種好とも呼ばれます。


日時:2012年06月19日 17:11
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三十三身とは


三十三身(さんじゅうさんじん)とは、「法華経」普門品で述べられる、観音が娑婆世界で法を説くための方便として自在に変化することをあらわします。

仏・辟支仏(びゃくしぶつ)・声聞(しょうもん)・梵王・帝釈(たいしゃく)・自在天・大自在天・天大将軍・毘沙門・小王・長者・居士(こじ)・宰官・婆羅門・比丘(びく)・比丘尼・優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)・長者婦女・居士婦女・宰官婦女・婆羅門婦女・童男・童女・天・竜・夜叉(やしゃ)・乾闥婆(けんだつば)・阿修羅・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩羅迦(まごらか)・執金剛


日時:2012年06月18日 17:03
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三十三観音とは


三十三観音(さんじゅうさんかんのん)とは、「法華経」普門品で説かれる観音の三十三応現身について、この数に合わせ各種の観音を集めたものです。
典拠は経典や説話などさまざまであり、日本では江戸時代ごろに成立したとされています。
以下、それぞれの名称です。

楊柳(ようりゅう)観音・龍頭(りゅうず)観音・持経(じきょう)観音・円光観音・遊戯(ゆげ)観音・白衣(びゃくい)観音・蓮臥(れんが)観音・滝見観音・施薬観音・魚籃(ぎょらん)観音・徳王観音・水月観音・一葉観音・青頸(しょうきょう)観音・威徳(いとく)観音・延命観音・衆宝(しゅうほう)観音・岩戸(いわど)観音・能静(のうじょう)観音・阿耨(あのく)観音・阿摩堤(あまだい)観音・葉衣(ようえ)観音・瑠璃観音・多羅尊観音・蛤蜊(こうり)観音・六時観音・普悲(ふひ)観音・馬郎婦(ばろうふ)観音・合掌観音・一如(いちにょ)観音・不二(ふに)観音・持蓮(じれん)観音・灑水(しゃすい)観音


日時:2012年06月17日 17:22
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三国祖師影図巻とは


三国祖師影図巻(さんごくそしえいずかん)とは、インド・中国・日本の高僧や道教の神々など総数四十六師の姿がおさめられた影像図鑑です。
聖徳太子・行基・鑑真など、多数の宗派にわたりますが真言僧が最も多くおさめられています。
仁海が撰者とされ、成立以後、京都・勧修寺を中心に写し伝えられ、現在七つの写本が確認されています。


日時:2012年06月16日 10:25
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懺悔三十五仏とは


懺悔三十五仏(さんげさんじゅうごぶつ)とは、「大宝積経」優波離会に基づく懺法「トゥンシャク」の本尊である三十五尊の仏です。
この三十五仏の名前を唱えることにより、僧侶が犯した破戒の罪が清められるといわれています。


日時:2012年06月15日 12:37
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参詣曼荼羅とは


参詣曼荼羅(さんけいまんだら)とは、寺社参詣を促すものとして、また布教のための絵解き用として制作された、神社・仏閣に参詣する様を描いた案内絵図です。
寺社・仏閣、参詣者、縁起や伝承、霊験など当該寺社にまつわる多様な内容が描きこまれ、おもに中世末から近世初頭にかけ制作されました。


日時:2012年06月14日 11:42
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散華とは


散華(さんげ)とは仏教寺院での法会のおりに、仏や菩薩を供養するためにまき散らされる花のことをいいます。
もとはインドにおいて貴人を迎える際に行われていた風習が仏教に取り入れられたものです。


日時:2012年06月13日 11:01
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三曲法とは


三曲法(さんきょくほう)とは菩薩像などが首と腰をひねることにより、頭部、上半身、下半身がそれぞれ異なった角度に表現されることをいいます。
インド美術のトリバンガに由来し、その作例は二世紀あるいはその以前からみられます。
また、中国では七世紀後半から八世紀前半ごろに流行し、日本でも法隆寺金堂壁画の菩薩像などに作例がみられます。


日時:2012年06月12日 11:24
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サンガミッターとは


サンガミッターとはマウリヤ朝第三大王アショーカの王女であり、兄にあたるマヒンダ長老とともにセイロン島に仏教を伝えたと歴史書にのこされている人物です。
聖地ボードガヤーから持ち運んだ菩提樹の一枝を植樹し、比丘尼のための教団を設立したと伝えられています。


日時:2012年06月11日 10:53
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三迦葉とは


迦葉とはサンスクリット語のカーシャパの音写であり、三迦葉(さんかしょう)とはカーシャパ三兄弟のことをさします。
このバラモンの三兄弟は事火外道(火を崇拝する儀式を行う宗教)で多くの弟子を持っていましたが、釈迦の教えにひかれ、釈迦の弟子となったため、釈迦の教団は一度に大集団となりました。


日時:2012年06月09日 15:22
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サンヴァラ曼荼羅


サンヴァラ曼荼羅とはサンヴァラを主尊とする曼荼羅のことです。
六十二尊からなる系統と十四尊からなる系統の二種類があります。
チベット仏教圏では六十二尊曼荼羅が多くの作例を遺し、ネパールでは十四尊曼荼羅が作例として多く見られます。


日時:2012年06月08日 10:10
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サキャ五祖とは


サキャ五祖とはチベット仏教のサキャ派の祖師五人をあらわした総称です。
在家密教行者であったサチェン・クンガニンポ、ソナム・ツェモ、タクパギェンツェンの白衣三祖と、出家僧であったサキャ・パンディタとパクパの紅衣二祖からなります。


日時:2012年06月07日 12:02
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最勝老人とは


最勝老人(さいしょうろうじん)とは、文殊五尊の卷属のひとりです。大聖老人または採桑老人とも呼ばれます。
「仏頂尊勝陀羅尼経」には五台山に文殊菩薩を求めたインド僧・仏陀波利に対し、同経を中国に伝えるよう説いた文殊菩薩の化身として現れた老人として描かれます。


日時:2012年06月06日 11:55
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西行とは


西行(さいぎょう)とは鎌倉時代に活躍した僧侶、歌人です。
奥州藤原氏の子孫とされ、武士になりながら、1140年に出家しました。
全国を行脚し、私家集「山家集」を遺すなど独自の歌風をつくりました。
またその半生は「西行物語」や西行物語絵巻に描かれています。


日時:2012年06月02日 10:31
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金銅仏とは


金銅仏(こんどうぶつ)とは、銅もしくは青銅製の仏像の表面に金を鍍金または箔押しした、銅造鍍金の仏像です。
その大きさは、東大寺大仏のような大規模なものから、数センチの小像までサイズは多岐にわたります。


日時:2012年06月01日 10:17
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勤操とは


勤操(ごんそう)とは奈良時代〜平安時代初期に活躍した三論宗の学僧です。
ニ十歳で受戒の後、大安寺善議について三論教学を学びました。
のちに三論の宗勢回復に努め律師となりました。


日時:2012年05月31日 10:56
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金剛法菩薩とは


金剛法菩薩(こんごうほうぼさつ)とは観音菩薩の密教化されたものであり、阿弥陀如来の四親近菩薩のひとつとして、金剛界十六大菩薩を形成します。
金剛界曼荼羅のなかに描かれ、また阿弥陀五尊像の脇侍菩薩としてあらわされます。


日時:2012年05月30日 10:45
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金剛智とは


金剛智(こんごうち)とは中国の唐代にインド中期密教を伝えた僧で、サンスクリット語でヴァジュラボディといいます。
中インド出身であり、十歳のときに出家し、後に竜智から密教を学びました。
その後玄宗の帰依を受け国師となり、各地に灌頂道場を設けました。


日時:2012年05月29日 17:04
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金剛柵とは


金剛柵(こんごうさく)とは仁王門の仁王もしくは力士の座の周りを囲っている柵のことをいい、金剛垣ともいわれます。
その上部のくくりのかたちが金剛杵に似ていることからこの名前がついたとされています。


日時:2012年05月28日 10:42
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セーマーとは


セーマーとは寺院などの聖なる空間と俗界との境界を示す石碑状のもので、タイ語で結界石の意味を持ちます。
タイのコーンケーン国立博物館に収蔵されているカーラシン県のムアン・ファー・デーから発見されたものはその表面に本生図、仏伝図が浮彫されています。


日時:2012年05月27日 10:35
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矜羯羅童子とは


矜羯羅童子(こんがらどうじ)は不動三尊のひとりであり、制多迦童子と対をなし不動明王の脇待をつとめます。
不動八大童子のひとつにもかぞえられ、サンスクリット語ではキンカラといいます。
その姿は十五歳ほどの童のすがたであらわされます。


日時:2012年05月26日 10:21
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護法善神とは


護法善神(ごほうぜんしん)とは仏法を守護する諸々の天や鬼神の総称のことです。
梵天・帝釈天や四天王、金剛力士、八部衆、十二神将、二十八部衆、十羅刹女、十六善神などがあげられます。


日時:2012年05月25日 10:09
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胡粉下地とは


胡粉下地(ごふんしたじ)とは木彫像を彩色するときに使う下地の一種です。
主成分は炭酸カルシウムであり、これお膠で溶かして用いられます。


日時:2012年05月24日 12:17
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五部浄とは


五部浄(ごぶじょう)とは二十八部衆(千手観音の眷属)のひとつです。サンスクリット語でヤマラといい、五部浄居炎魔羅が正式な名前です。
天上世界の浄居天から地界の炎魔羅におよぶ神性を持つことが名前の由来であり、その役割は行者を常に擁護することにあります。


日時:2012年05月23日 12:03
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呉彬とは


呉彬(ごひん)とは中国の明末の画家です。字は文中」、号は枝菴髪僧(しあんはっそう)といいます。
山水画の分野において優れた作品を多くのこしていますが、仏画としては仏像涅槃図や十六羅漢十六軸などが有名です。


日時:2012年05月17日 10:14
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五秘密曼荼羅とは


五秘密曼荼羅(ごひみつまんだら)とは五秘密法の本尊として用いられる曼荼羅です。
金剛薩埵を中心として欲・触・愛・慢の四金剛波羅蜜菩薩を配置します。


日時:2012年05月15日 16:05
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呉道玄とは


呉道玄(ごどうげん)とは、中国・盛唐期に活躍した画家です。
各地を遍歴し、景徳寺の地獄変など、長安・洛陽の寺院に大壁画を描いたことで有名です。
その画風は呉帯当風と呼ばれ、日本の仏画表現にも影響を与えました。


日時:2012年05月14日 15:55
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骨蔵器とは


骨蔵器(こつぞうき)、もしくは蔵骨器(ぞうこつき)とは死者の遺骸を荼毘に付し、残された骨灰を納めるための容器のことをいいます。
舎利容器(釈迦の骨を納めたもの)もこれの一種にあたります。


日時:2012年05月11日 14:53
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五智宝冠とは


五智宝冠(ごちほうかん)とは宝冠中に五智円満の徳を象徴した五つの化仏をあらわしたもので、五智冠、五仏冠、五仏宝冠、五宝天冠などとも称されます。
その形式は宝冠前面の中央ならびに上下左右の五方に配されるものと、宝冠の五方向に一体づつ配されるものの二様があります。


日時:2012年05月10日 14:47
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五大力菩薩とは


五大力菩薩(ごだいりきぼさつ)とは伝鳩摩羅什訳「仁王般若経」に三宝を護持する国王あれば、赴いてその国を守護する五体の大力の菩薩と説かれるものです。

西方 無量力吼(むりょうりくく)
北方 雷電吼(らいでんく)
東方 無畏十力吼(むいほうく)
南方 竜王吼(りゅうおうく)
中央 金剛吼(こんごうく)


日時:2012年05月08日 11:17
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巨勢広貴とは


巨勢広貴(こせのひろたか)とは平安時代中期に活躍した巨勢派の宮廷絵師です。
巨勢派とは平安時代から室町時代にかけ画壇で重きをなした絵師の系統です。


日時:2012年05月07日 11:05
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牛頭天王とは


牛頭天王(ごずてんのう)とはインド・祇園精舎の守護神であり、また京都・祇園社の祭神です。
とても強い行疫神でもありますが、丁重に祀り、社殿を設けることによって防疫の守護神になってくれるとされています。
そのすがたは頭頂に黄牛面をつけた二つの角をもつ憤怒相、あるいは白牛にまたがる三面十二臂の像であらわされます。


日時:2012年05月04日 11:06
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子島荒神とは


子島荒神(こじまこうじん)とは奈良県高鳥町勧覚寺・子島寺の真興が感得したとされる修験的な要素を持つ荒神です。
そのすがたは宝冠をいただき、宝珠と宝輪を掲げる四臂の神将形で海中の岩坐上にあらわされます。


日時:2012年05月03日 10:53
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五胡仏とは


五胡仏(ごこぶつ)とは中国の五胡十六国期に制作された仏像のことをいい、なかでも金銅仏である作品に対して用いられている呼び名です。
十センチ内外におさまる小さなものが多く、その多くが如来坐像であり、菩薩立像や如来立像もいくつかあります。


日時:2012年05月02日 10:47
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虎関師錬とは


虎関師錬(こかんしれん)とは鎌倉時代後期〜南北朝時代の臨済宗の禅僧で、諡号は本覚国師といます。
1285年に京都・三聖寺の東山湛照に師事し、10歳のときに比叡山で受戒しました。後に東福寺、南禅寺の住持を務めました。
代表的な著作として『元亨釈書』、『仏語心論』、『済北集』、『十禅支録』などがあげられ、五山文学の第一人者でもあります。


日時:2012年04月29日 14:57
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康誉とは


康誉(こうよ)とは鎌倉時代末から南北朝時代にかけて活躍した慶派仏師です。
主な事績としては福岡・大興禅寺如意輪観音像、大分・岳林寺釈迦如来像、栃木・遍照寺大日如来像などがあげられます。


日時:2012年04月28日 14:52
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康猶とは


康猶(こうゆう)とは安土桃山時代・江戸時代前期に活躍した仏師です。
康正の子であり康音・康知の父です。
関東における徳川幕府関連の造像が多く、主な事績としては日光東照宮の造像、日光輪王寺造像、寛永寺五重塔四仏などがあげられます。


日時:2012年04月27日 11:07
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幸有とは


幸有(こうゆう)とは鎌倉時代中期に活躍した仏師で、鎌倉仏師の祖とされる人物です。
慶派・後藤家家系図によると運慶・湛慶に次ぐ第三代とされています。
著名な作品としては神奈川・円応寺初江王坐像などがあげられます。


日時:2012年04月26日 11:03
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高野四所明神とは


高野四所明神(こうやししょみょうじん)とは高野山の鎮守として天野神社に祀られる地主神であり、真言密教の護法神です。
高野山開創のおりに空海は丹生都比売明神と狩場明神により伽藍地を得たとされています。
そして平政子が気比明神、厳島明神を勧請し高野四所明神は成立したとされています。


日時:2012年04月20日 15:39
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光明本尊とは


光明本尊(こうみょうほんぞん)とは浄土真宗に伝わる師資相承を図示し、その法脈の正当性をあらわした原初本尊です。
念仏の教えが釈迦如来から仏菩薩、先徳を通じて伝わる法脈を図示しており、初期真宗の分立時代に数多く制作されています。


日時:2012年04月19日 15:34
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光明皇后とは


光明皇后(こうみょうこうごう)とは、聖武天皇の皇后であり、藤原不比等の第三女です。
亡父母の菩提を祈り、一切経を二度にわたり発願するなど仏教に深く帰依していたことが知られています。
また、皇后宮職に施薬院や悲田院を置くなど社会事業にも熱心でありました。


日時:2012年04月17日 11:25
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降魔成道とは


降魔成道(ごうまじょうどう)とは、釈迦が菩提樹のもとで悟りをひらこうとしたときに、魔羅(マーラ)が様々な魔衆を引きつれ、それを妨害しようとしたのを、釈迦によって降伏させられた伝説のことをいいます。
これを扱ったものは、仏伝図のなかでも重要な場面として独立してあらわされるものが多く、多くの作例が遺されています。


日時:2012年04月16日 11:05
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孔望山磨崖とは


孔望山磨崖(こうおうさんまがい)とは、中国江蘇省・孔望山の上にある仏教磨崖石刻です。
世俗生活をあらわすもの以外にも、涅槃図・捨身飼虎図・仏立図・仏坐像・供養者像などがあります。


日時:2012年04月14日 17:18
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高峰顕日とは


高峰顕日(こうほうけんにち).とは鎌倉時代後期の禅僧で、後嵯峨天皇の皇子といわれています。
東福寺の円爾弁円のもとで出家し、鎌倉・建長寺の十四世となったほか、下野那須・雲巌寺の開山でもあります。
諡号は仏国禅師・仏国応供広済国師であり、夢窓疎石・天庵妙受などが弟子としています。


日時:2012年04月13日 17:10
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康弁とは


康弁(こうべん)とは鎌倉時代前期の仏師で、慶派仏師です。
教王護国寺南大門の仁王像の造像に参加し、中門二天・西方天を湛慶、運賀とともに担当しました。
また、興福寺北円堂諸仏の造立では四天王・広目天像を担当しました。


日時:2012年04月12日 11:13
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高文進とは


高文進(こうぶんしん)とは北宋初期の人物画家です。
祖父の代から三代にわたり、前蜀・後蜀・北宋の宮廷画家としてつかえました。
大相国寺・玉清昭応宮をはじめとして、数多くの寺院の壁に仏画を描きました。


日時:2012年04月11日 10:48
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康朝とは


康朝(こうちょう)とは平安時代後期の奈良仏師であり、康助の子もしくは弟子といわれています。
鳥羽院御願の鳥羽金剛心院釈迦堂の丈六釈迦三尊像を康助とともに制作し、法橋に叙され、さらには後白河上皇御願の蓮華王院千体千手観音像の造像により法眼となりました。


日時:2012年04月08日 10:57
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香水杓とは


香水杓(こうずいしゃく)とは、香水(仏前に供えられる清浄な水)をたらし供養するための具のことです。
そのかたちは壺と呼ばれる急須形に長柄をそなえたものです。


日時:2012年04月07日 10:52
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康尚とは


康尚(こうじょう)とは平安時代後期に活躍した仏師であり、定朝の師・父であるだろうとされています。
寺院から独立し私工房を持ち、多様な造像に応じた、手工業的な仏師の祖といわれています。
また、その事績には藤原行成や藤原道長および宮廷関係の造像が多くあります。


日時:2012年04月06日 11:17
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康勝とは


康勝(こうしょう)とは、鎌倉時代前期に活躍した慶派仏師で、運慶の四男にあたります。
運慶統率化の教王護国寺南大門仁王像造立に携わったのが記録上の初出であり、代表的な遺作に、法隆寺金堂銅造阿弥陀如来坐像、教王護国寺弘法大師像、京都・六波羅蜜寺空也上人像などがあります。


日時:2012年04月05日 11:10
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康正とは


康正(こうしょう)とは安土桃山時代から江戸時代前期にかけて活躍した仏師です。
康秀の子であり、康猶の父といわれています。
安土桃山〜江戸前期を代表する仏師であり、その事績は多岐にわたることで知られています。
代表作として京都・教王護国寺金堂の丈六薬師三尊像(1603)が挙げられます。


日時:2012年04月04日 16:13
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康助とは


康助(こうじょ)とは平安後期に活躍した仏師です。
頼助の子であり、康朝の父もしくは師といわれています。
興福寺を拠点とする奈良仏師として知られており、特に縁の深かった藤原忠実を介し後鳥羽上皇関係の造像にもおおくたずさわりました。


日時:2012年04月03日 15:28
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康俊とは


康俊(こうしゅん)とは鎌倉末期から南北朝時代にかけ活躍した仏師です。
康成の父にあたり、1315年から1369年にかけ、遺作17件を含む21件が事績として知られています。


日時:2012年04月02日 15:25
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格狭間とは


格狭間(こうざま)とは台脚の側面に取りつけられた曲線文様のことで、眼象(げんじょう)、牙象(げじょう)ともいわれます。
もとは台の脚を補強するためにあったものが次第に装飾化されたと考えられており、岩手中尊寺金色堂須弥壇などが知られています。


日時:2012年03月23日 11:07
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康慶とは


康慶(こうけい)とは、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した奈良仏師です。
康助もしくは康朝の弟子であり、運慶の父そして快慶の師であります。
吉祥天造立(1152年)で記録上初出し、東大寺大仏殿脇侍・四天王像造立(1196年)が最後の事績として知られ、その後まもなく没したとされています。


日時:2012年03月22日 11:01
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交脚像とは


交脚像(こうきゃくぞう)とは、両脚を交差して倚坐する像のことをいいます。
ガンダーラ起源とみられ、もとは王族や神などの高貴な者の尊像に使われていた様式が仏像造像にとりいれられたものと考えられています。
西北インド・中央アジア・中国北部地域などシルクロード沿いの地域に作例は見られ、インド南部・東南アジア・中国南部地域にはほぼ見られません。


日時:2012年03月17日 16:36
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黄花石像とは


黄花石像(こうかせきぞう)とは黄花石を用いた石彫像のことです。
黄花石とは黄緑色の石材であり、南北朝時代から隋代にかけて、陝西地域を中心に単体造像や四面像、塔像、天宮像などの石彫像の材料として使用されました。


日時:2012年03月16日 16:21
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康温とは


康温(こうおん)とは、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した七条西仏所の仏師です。
代表的な作品として、山形・不動堂勢至菩薩坐像、京都・南禅寺山門釈迦三尊像・十六羅漢像などがあげられます。


日時:2012年03月15日 16:10
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康円とは


康円(こうえん)とは鎌倉時代中期の慶派仏師で、運慶の次男康運の子といわれています。
湛慶の後継者として慶派一門を主宰し、東大寺講堂の中尊千手観音像など多くの遺品を残しています。
また但馬法印、東寺大仏師職に任じられたともいわれています。


日時:2012年03月14日 14:43
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弘円とは


弘円(こうえん)とは室町時代の仏師であり、慶派系の仏師として位置づけられています。
大聖寺の聖徳太子像造立から仏日庵の地蔵菩薩像修理まで二十近くの事績が確認されています。
代表作として円応寺奪衣婆坐像があげられます。


日時:2012年03月13日 14:34
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康運とは


康運(こううん)とは鎌倉前期の慶派仏師であり、運慶の次男です。
教王護国寺南大門の仁王像の造像にあたり、運慶に従い六人兄弟の一人として参加しました。
また、興福寺北円堂諸仏の造像に際しては、運慶の構想のもと四天王・増長天像を担当しました。


日時:2012年03月12日 14:28
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ケンロプチュー・スムとは


ケンロプチュー・スムとは、サムイェー寺(チベット初の本格的大寺院)の初代座主であるシャーンタラクシタ、定礎式の導師を務めた阿闍梨パドマサンバヴァ、大檀越となった吐蕃の法王ティソンデツェンの総称です。
チベット仏教草創期の功労者として崇められ、チベット仏画のモチーフともなります。



玄朝とは


玄朝(げんちょう)とは、平安中期に南都で活躍したとされる絵仏師です。
奈良・元興寺に居たため飛鳥寺玄朝とも呼ばれます。
玄朝作の確証がある作品は残っていませんが、『七大寺日記』によると元興寺金堂に玄朝絵様の半肉彫十二神将像があったと記されており、興福寺の板彫十二神将像がこれに当たるのではという説があります。


日時:2012年03月10日 10:06
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蜆子とは


蜆子(けんす)とは唐末の禅僧であり、洞山良价の法嗣です。
一定の居所にとどまらず、いつの季節も常に一衲をまとい、江岸にエビやシジミを取り腹を満たし、夜は東山白馬廟の紙銭のなかにもぐって眠ったといわれています。
禅宗絵画の題材として多く取り上げられ、手網を持ち、エビをさしあげる姿であらわされます。


日時:2012年03月09日 14:17
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遣迎二尊とは


遣迎二尊(けんごうにそん)とは、此岸にあり往生者を見送る釈迦如来と、彼岸である浄土からこれを迎えに来る阿弥陀如来のことをいいます。
遣迎二尊図としての作例は香川・観音寺本や徳島・雲辺寺本などがあります。
また彫像の作例として、京都・遣迎院像や京都二尊院像などがあります。


日時:2012年03月08日 14:03
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元慶とは


元慶(げんけい)とは、江戸時代の仏師です。
もとは京都の仏工でしたが1669年に大阪瑞竜寺の鉄眼道光につき出家し、松雲元慶と号しました。
十数年をかけ、等身大の五百羅漢像を独力でつくり、それをおさめる五百羅漢寺を江戸本所に創建しました。


日時:2012年02月25日 17:32
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賢円とは


賢円(けんえん)とは、平安後期の仏師であり、円派仏師のひとりです。
円勢の二男であり、長男の長円とともに活躍し、法印位に就きました。円勢は院政期にもっとも権威のあった仏師として知られています。
賢円作とされている作品としては、京都・安楽寿院にのこる、阿弥陀如来坐像(重要文化財)などがあります。


日時:2012年02月24日 17:21
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蹴彫とは


蹴彫(けりぼり)とは彫金技法のひとつで、平鏨を縦に用い、刃を軽く浮かせるように鏨の角で表面を蹴るようにうちこんでゆく線刻法です。
日本には古くから伝えられたことが知られており、三重・金剛証寺蔵の線刻阿弥陀像などが有名です。


日時:2012年02月23日 17:10
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華鬘とは


華鬘(けまん)とは、サンスクリット語で「クスママラ」といい花輪のことをあらわします。
インドでは生花を編み、首にかける装身具としたり、貴人を迎える際に花輪をおくる慣習がありました。
これが仏教に取り入れられ、仏供養として仏像の手や頸に花輪がかけられました。
これが仏殿の荘厳具へと変化し、恒久性を持たせるため生花から木板・牛皮・玉・金属などでつくられるようになりました。


日時:2012年02月18日 11:08
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化仏とは


化仏(けぶつ)とは、衆生の教化・救済のために、仏や菩薩が相手に応じ、姿を変えた状態のことをいい、「変化仏」・「応化仏」ともいわれます。
また、仏身論的には、その存在は応身・化身といいます。


日時:2012年02月17日 11:01
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月江正印とは


月江正印(げっこうしょういん)とは、中国の元代の禅僧です。
臨済宗松原派の虎厳浄伏の法嗣で、明極楚俊・南楚師説・即休契了と同門です。
多数の入元僧がその会下に参じ、法語・偈頌などを持ち帰ったため、多くの墨跡がわが国に伝存しています。


日時:2012年02月16日 14:22
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華厳宗祖師絵伝とは


華厳宗祖師絵伝(けごんしゅうそしえでん)とは、京都市右京区梅ヶ畑栂尾町・高山寺所蔵の、新羅の高僧元暁と義湘の行状を描く高僧絵伝の総称です。
華厳縁起との呼び名もあります。
制作は1230年前後とされ、詫間俊賀や恵日房成忍らが筆者と推定されています。


日時:2012年02月15日 14:16
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華厳三聖とは


華厳三聖(けごんさんしょう)とは、華厳経における三聖者のことをいいます。
華厳の教主である毘盧遮那仏と文殊菩薩、普賢菩薩です。
有名な作例としては、中国の杭州飛来峰の宋代の石刻浮彫華厳仏会像などがあります。


日時:2012年02月13日 15:17
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慶派とは


慶派(けいは)とは、鎌倉時代初期の康慶からはじまる仏師の一派のことです。
その息子・運慶や弟子・快慶など、慶派様式を確立し、鎌倉彫刻の主流の一翼を担いました。
その名前に「慶」の字がつく場合が多いので、慶派仏師と呼ばれました。


日時:2012年02月12日 15:02
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クルックラーとは


クルックラーとはインド・チベット・ネパールで崇拝された女性尊で、異性の愛を射止める敬愛法の本尊として成立したといわれています。
ターラー菩薩と関連が深くネパールでは赤色ターラーとも呼ばれました。


日時:2012年02月11日 13:45
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鞍作止利とは


鞍作止利(くらつくりのとり)とは七世紀前半(飛鳥時代)に活躍した仏師です。
鞍作部は渡来系の技術者集団で、祖父の鞍作村主司馬達等、父の鞍作多須奈、叔母の嶋女らはいずれも熱心な仏教信者として歴史に名を残しています。
蘇我氏の配下にあり、蘇我馬子発願の法興寺の造営に際し、銅仏と繍仏の丈六釈迦像の制作に従事したといわれています。


日時:2012年02月10日 13:31
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鳩摩羅天とは


鳩摩羅天(くまらてん)とは、ヒンドゥー教のシヴァ神の息子である「クマーラ」が仏教に取り入れられ護世天となったもので、倶摩羅天とも表記されます。
クマーラとは童子を意味し、孔雀に乗った少年神のすがたであらわされることが多数です。


日時:2012年02月09日 11:58
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クベーラとは


クベーラとは毘沙門天の原形といわれる、インドの夜叉神です。
ヴァイシュラヴァナという名もあり、これが漢訳され「多聞天」となり、音写され「毘沙門天」となりました。
インドでは、戦闘の神というより、財運や豊穣の神として信仰されていました。


日時:2012年02月08日 11:43
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首ほぞとは


寄木造りで仏像をつくる場合、頭部と体部を別々につくることが多くありますが、その際に頭部と体部を接合するための部分を首ほぞといいます。

これにたいし、頭部と体部を同じ木でつくり、その後、頭・体部を割り放つ技法を割首といいます。


日時:2012年02月02日 14:31
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紅頗梨色阿弥陀如来とは


紅頗梨色阿弥陀如来(ぐはりじきあみだにょらい)とは「無量寿如来供養法次第」に基づく真言系の阿弥陀如来で、紅頗梨秘法の本尊となります。
その肉身を紅頗梨色とすることからこの名前がつけられています。
作例として、高野山・桜池院蔵、京都・知恩院蔵などがあります。



国中連公麻呂とは


国中連公麻呂(くになかのむらじきみまろ)とは奈良時代の仏師であり、律令官人でもあります。
百済からきた渡来人の子孫であり、世に東大寺大仏の作者とも称されます。


日時:2012年01月31日 15:59
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救世観音とは


救世観音(ぐぜかんのん)とは聖観音の異称です。
その名前は「法華経」巻第七観世音菩薩普門品のなかの「観音妙智力、能救世苦」に由来すると考えられており、経典に説く正式な尊名ではありません。


日時:2012年01月31日 15:50
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薬師徳保


飛鳥時代の七世紀頃に活躍した仏工で、四天王像(持国天・増長天・広目天・多聞天)の作者の一人と見られます。ちなみに、四天王を制作するとき百済系仏工が主導的役割を果たしました。


日時:2012年01月19日 17:19
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具生神


人が生まれてから常に人の両肩にいて、人の死後、閻魔王に奏上される神で、これは2体の神からなります。特に筆と経巻を執る姿や書巻をひもとく姿が表されています。


日時:2012年01月18日 17:13
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愚極礼才


東福寺149世の住職を持つ室町前期の禅僧で、その時代に流行した渡唐天神信仰の展開に大きな役割を果たしました。また、画僧、吉山明兆に画を学び水墨を主体に簡潔に描いた絵画には自らの技が大きく見られます。


日時:2012年01月18日 15:52
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緊那羅


サンスクリット語のキンナラの音写で、古代インドの楽神で、八部衆、二十八部衆の一つである。特に日本やインドでは、『胎蔵図像』や『四種護摩本尊及眷属図像』に馬頭の図像が見られます。


日時:2012年01月17日 17:49
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禽獣座


獣、鳥などの動物に坐る仏像の台座で、日本では密教の伝来に伴い九世紀初めに伝えられ以後、密教の絵画や彫刻に数多く見られます。特に文殊菩薩の獅子座、普賢菩薩の象座は平安後期以降、宗派問わず広く流布しました。


日時:2012年01月17日 17:48
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金泥


金箔をすりつぶして粉末にしたものにしたものを膠水で溶いたもので、これは絵画の彩色、料紙の装飾、仏像の塗装、写経などに用いられ、金には青金、赤金など数種類があり、用途に応じて使い分けられます。特に絵画では仏像の着衣の文様や装身具を表すのに使われました。


日時:2012年01月17日 17:46
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銀泥


銀箔をすりつぶして粉末にしたものを膠水で溶いたもので、これは仏教絵画の装飾、写経、料紙装飾、雲霞表現などに用いられた。特に絵画では仏像の着衣の文様や衣文線を表すのに使われました。


日時:2012年01月17日 17:45
続きを読む”銀泥”

巨然


中国五代から北宋前期の画僧であり、董源を師とし江寧(江蘇省南京)の開元寺で修行し後に李に従い北宋の開封(河南省東部)の開宝寺に住み、翰林学院の壁画などを制作しました。特に、爽やかな江南の風景を象徴とした『山水画』が有名です。


日時:2012年01月12日 11:42
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玉眼


水晶で表された木彫像の眼で、技法として内刳をした像の眼の部分を刳り抜き裏側から皿状に整形して眼を墨、血走りを朱で描いた水晶を当てます。そして、この水晶の裏から白目となるところに白紙や綿などを当て最後に木片で押さえ竹針でとめます。


日時:2012年01月12日 11:41
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玉えん梵芳


室町時代の臨済宗夢窓派の画僧で、現存する彼の絵画の多くは墨蘭である。幼少より春屋妙葩に従い、京都・建仁寺、南禅寺の住職となるが、足利義持とのいさかいを契機に遺書を記して隠遁生活に入りました。


日時:2012年01月12日 11:40
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京仏師


京の都を本拠として活躍した仏師たちで平安時代後期の定朝以来の伝統を受け継ぐ円派や院派のことを言います。この二派は院政時代から主に宮廷や貴族関係の造仏を手がけて和様と新様を融合させました。また、中世には京に多数の仏所が設けられたが七条に仏所を構えた慶派の「運慶」の勢力が増し次第に京仏師の中心的存在になっていった。


日時:2012年01月12日 11:40
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杏人形


仏像彫刻における正面を見開いた眼のことで、杏子の種核あるいはアーモンドのような形を示すのでこのように称されました。杏仁形の表現はクシャーン朝マトゥラーやガンダーラの初期の仏像や飛鳥時代の仏像に見られます。


日時:2012年01月11日 11:41
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行像


仏像を輿や山車などに乗せて歩かせることを言い、インドや北魏において盛んに行われた。特に六牙の白象に乗る釈迦牟尼仏像を壁邪と獅子が先導しただけでなく兵庫県・浄土寺の阿弥陀如来立像に実物の袈裟を着せて山車に乗せ、面をつけて菩薩や比丘に装った人々が従いました。


日時:2012年01月10日 17:58
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鏡像


懸仏、御正体とも呼ばれ、銅鏡の鏡面に線刻や墨画で神仏像を表したものである。わが国の鏡像は初期の唐鏡や唐式鏡に習合尊を表したものと後に現れた和鏡や儀鏡に独尊像を表したものがあり、鏡像はもともと修法の具に使われ後に礼拝に使われるようになりました。


日時:2012年01月10日 17:57
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胸甲


胸甲とは胸当てのことで、固く紐や帯で身体の各部分に縛られている甲冑の一つであります。仏教の守護神である天部、武将の像がこれを着け、外敵から身を守る役割を果たします


日時:2012年01月06日 17:52
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経軌


密教の経典と儀軌のことで儀軌は仏菩薩および天部などの造像、念誦、供養に関する儀式規則を言うが、密教ではカルパ・ヴィディと呼ばれる儀軌を説く経典を制作していき、諸尊に悟りの示し方や誓願に違いがあることで多種の儀軌が生じました。特に、日本の天台密教では経軌を重視する傾向があります。


日時:2012年01月06日 17:49
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教絵


経絵とは経の内容に照らし合わせて経典の見返しや本文に描かれた絵画である。これはインドやカン
 ボジアなどの仏教圏各地で現されている。特に、日本では主に金・銀の字で表されている「法華経」
 、や「華厳経」「大般若経」の見返しの正方形の画面に金銀泥で描くことが中心に行われ、お釈迦様
 と菩薩聴聞者らを正面向きに描かれている。一方、中国、朝鮮などの経絵は長方形の画面でほとんど
 の仏菩薩が斜め横向きに表されている。


日時:2012年01月05日 17:42
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鬼目


密教宝具の要所に表される半球状の突起であり、鬼目は既に中晩唐期に成立していた。特に、教
 国護国寺の金剛五鈷鈴は最古品であるが、この鈴の中央には極めて強い張りの鬼目が見られます。
 しかし、時代の発展とともに、鬼目の形状は強い張りのある半球状から平たい張りのないものに
 変化していきました。


日時:2012年01月04日 15:20
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擬宝珠


「ぎぼし」とも言い,珍宝や衣食住を出し、あらゆる苦を取り除く真言宗の宝珠に似た建築装飾具で、橋や神社のお堂の欄干柱頭にはめ込まれる。ほとんどの材質は青銅製で鍍金を施した鉄製のものも数少なくあります。


日時:2012年01月04日 15:19
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木取とは


木取(きどり)とは木彫像を作る工程の第一段階にあたる作業です。
具体的には、木材を像の大きさにあわせ製材し、不要となる部分を削ったり、組み付けたりする作業となります。
この工程を経て荒彫り(像の概形の彫り出し)、小作り、仕上げと作業は続いていきます。


日時:2011年12月22日 12:21
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喜多元規とは


喜多元規は江戸時代中期の黄檗派の肖像画家です。
父である黄檗派の絵師・喜多道矩に学び、長崎を拠点に多くの作品を残しました。
隠元・木庵・即非など黄檗僧のものを中心に多くの肖像画を描き、その数は二百点を優に超えています。


日時:2011年12月21日 12:08
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貴顕天部とは


貴顕天部(きけんてんぶ)とは天部のなかでも容姿や服装から貴人の姿と分類される天部のことをさします。
具体的には中国の官人や貴婦人の服装を身につけ、菩薩のような穏やかで柔和な表情をした一群であり、梵天や帝釈天、吉祥天、弁財天などの女天が多く含まれます。


日時:2011年12月16日 12:10
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儀軌とは


儀軌(ぎき)とは密教の経典における仏・菩薩・明王・天部などの造像、安置、供養の方法を詳細に規定する書のことをいいます。
密教においての造像は経典とこれに対応する儀軌、そしてそれに対応する諸尊の図像がそろって受容されるのが望ましい条件とされました。


日時:2011年12月15日 12:04
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窺基とは


窺基(きき)とは中国唐代の僧で法相宗の祖といわれる高僧です。慈恩大師または慈恩法師とも称されます。
632年に生まれ、十七歳で出家し玄奘の弟子となり、梵語を学び訳経に従事しました。
後に「成唯識論述記」や「大乗法苑義林章」を著し、法相宗の教理組織を完成させました。


日時:2011年11月26日 10:56
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義淵とは


義淵(ぎえん)とは奈良時代初期の法相宗の祖といわれる高僧です。
父母が観音菩薩に祈請して授けられた子とされており、その後天智天皇により、草壁皇子とともに養育されたと伝えられています。
弟子として七上足といわれる玄掘行基・宣教・良敏・行達・隆尊・良弁をはじめ道慈・道鏡などの奈良時代を代表する僧侶の名があげられています。


日時:2011年11月25日 10:35
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観勒僧正坐像とは


観勒僧正坐像(かんろくそうじょうざぞう)とは平安時代十世紀頃に制作したとされる法隆寺蔵の木造の僧形像です。
観勒僧正は602年に来日した百済僧ですが、観勒僧正坐像と呼ばれるようになったのは近代以降であり、もとは衆僧の上座にまつられる聖僧像であったとみられています。


日時:2011年11月24日 10:24
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五大虚空蔵像とは


五大虚空蔵像は教王護国寺蔵(観智院所在)の、虚空蔵菩薩の五つの智恵を五体で表したとされる群像です。
各像はすべて蓮台をふくめ広葉樹系の一材から大概を彫り出し、別に造られた鳥獣座に乗っています。
真言僧・恵運により唐からもたらされ、当初は安祥寺に安置されましたが、南北朝時代末に観智院に移されたと伝えられています。


日時:2011年11月11日 11:14
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冠帯とは


冠帯(かんたい)とは、仏像の宝冠を額の上で頭にとめる帯のことです。
装飾された幅広の帯であらわされるものと、三面頭飾をとめるためのひも状の帯に大別され、多くは帯の先が両肩に垂れます。


日時:2011年11月10日 12:29
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龕像とは


龕像(がんぞう)とは、石窟寺院の壁をうがった場所や、木、石、象牙などをくりぬいたところに、尊像を彫刻したものをいいます。
石窟寺院の龕像の例はインドや中国で多くみられ、石を使ったものでは宝慶寺浮彫が有名です。


日時:2011年11月09日 12:05
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環釧とは


環釧(かんせん)とは、臂釧、腕釧、足釧などの手足につける輪状の装身具の総称のことです。
瓔珞(ようらく:頸からさげる装身具)とともに仏像の身体を荘厳する装身具にあたります。


日時:2011年11月08日 12:27
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観世音寺・馬頭観音立像


観世音寺の馬頭観音立像は像高が五メートルを超える、寄木造の仏像です。
大治年中後半に造像されたという史料が見つかっており、丈六で四面八臂のものは国内唯一とされています。
像内の銘文には真快、明春、永深、浄仁、智範、慶与などの仏師の名前が記されています。



十王とは


十王とは、冥界において亡者の罪を裁く十人の王のことです。
道教思想の影響を強くうけ唐代末期から五代ころに成立したとされ、中国の「預修十王生七経」や、日本の「地蔵菩薩発心因縁十王経」で説かれています。
十王は十仏事に応じ配置され、秦広王(初七日)、初江王(二七日)、宋帝王(三七日)、五官王(四七日)、閻魔王(五七日)、変成王(六七日)、泰山王(七七日)、平等王(百か日)、都市王(一年)、五道転輪王(三年)の十人に奪衣婆が加えられることが多くあります。


日時:2011年11月01日 11:24
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三十番神とは


三十番神とは、日本国中の諸神30神が、一ヶ月を毎日交代で、仏教の広まる国土を守護するという神仏習合の信仰です。
日本では最澄が、法華経の「法師功徳品」の教えに基づき、法華経の守護神として勧請したといわれており、それを30神で構成するのは中国五代時代に行われた「三重仏名」に由来するであろうといわれています。
また如法経守護の三十番神は、日蓮宗や天台宗で信仰され、広くこれを勧請し番神堂などに祀りました。


日時:2011年10月31日 11:10
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道祖神とは


道祖神(どうそじん)とは、村落を外敵や悪霊から守り、村人の病気を除けるため、村の境界を守護する神です。
境の神であることから、塞の神とも呼ばれます。
後に旅人を守護する神、道路の神ともいわれ、一般には男女二神を並べ配したり、丸石をその神霊が宿るものとして祀られます。


日時:2011年10月26日 11:31
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金比羅とは


金比羅(こんぴら)とは、もとはインド王舎城の守護神であり、クンビーラという名前の神です。
仏法守護にあたる夜叉神の上位の神であり、薬師十二神将の宮毘羅大将、または般若十六善神の禁毘羅大将と同体とされます。
後に中国に入り、その名がワニの一種である蛟竜と漢訳されたため、航海を守る神として金毘羅竜王となり、また水の神として、火難除けに信仰されました。


日時:2011年10月25日 15:33
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牛頭天王とは


牛頭天王(ごずてんのう)は神道の説では日本古来の神・スサノオノミコトにあたるとされる神です。
もとはインドの祗園精舎の守護神であったといわれ、薬師如来の垂迹神とされています。
元慶年間(877〜885年)に平安京の八坂郷に勧請されたといわれ、京都の八坂神社(祗園社)の祭神となり、祗園天神ともよばれます。そして、ここを中心に疫病除けの神として、八王子・天王社などの名前で、全国に信仰が広まりました。
その姿は、二臂から多臂のものまでさまざまであり、多くは甲冑をつけ忿怒の相を示し、牛頭をいただきます。


日時:2011年10月24日 15:16
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僧形八幡神とは


僧形八幡神(そうぎょうはちまんじん)とは、神仏習合思想により、僧の姿であらわされた八幡神です。
八幡神は本来は北九州を拠点とした宇佐氏の氏神であり、宇佐八幡宮の祭神で、穀霊神・銅産の神としての信仰がありました。
奈良時代に東大寺大仏造立の託宣を発したことにより、中央に進出し、鎮護国家の神となり、仏教との関係も深まり八幡大菩薩と称されました。
僧形の八幡神の造形がはじめられたのは、平安時代のことであり、本来偶像をもたない日本の神道において、神像をつくる先駆けとなりました。


日時:2011年10月20日 17:10
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雨宝童子とは


雨宝童子(うぼうどうじ)とは、正しくは「金剛赤精善神雨宝童子」という、神仏習合の尊です。
両部神道では、天照大神が日向国に降り立ったときの姿を示すとされ、また大日如来の化身ともいわれます。
天長二年(825年)に空海が伊勢の朝熊山で虚空蔵求聞持法を修した折に、天照大神の託宣があり、制作したものとされており、「雨宝童子啓白」には三界諸仏の根本であると説かれています。
その姿は天女形で、頭上に五輪塔をいただき、右手に金剛宝棒をとり、左手には宝珠を持ち、ときに足下に白狸を踏むことがあります。


日時:2011年10月19日 16:54
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伊豆山権現


伊豆山権現(いずさんごんげん)とは、走湯権現ともいわれる静岡県・伊豆山神社であり、鎌倉時代に源頼朝の尊崇を受け、その後は北条氏や徳川家など東国武士を中心に広い信仰を受けました。
伊豆山神社本社に祀られる平安時代の伊豆山権現は、一木造で、頭に巾子冠をつけ、ほうをまとい、沓を履く姿ですが、その後広く知られるのは、頭に烏帽子をいただき、あごひげをたくわえ、指貫を着け、直衣の上に袈裟をまとう姿です。


日時:2011年10月18日 10:48
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清滝権現とは


清滝権現(せいりゅうごんげん)とは、水をつかさどり、寺を守るといわれる密教の守護神です。
沙迦羅竜王の三女・善女竜王といい、如意輪観音・准胝観音の化身ともいわれます。
空海が渡唐の折に現れ、三摩耶戒(さんまやかい:密教で説く戒め)を授かりたいと申し出たが許されず、帰国の船中で再び現れ、密教の守護を誓ったため、空海は神護寺に勧請して祀りました。
その姿は宝冠をいただき、小袿をつけた女官が、手に宝珠を持つ和様の姿であらわされます。


日時:2011年10月17日 10:23
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高野明神とは


高野明神(こうやみょうじん)とは、和歌山県・高野山の鎮守神で、山麓の天野神社に祀られる祭神です。
もとは天野神社の地主神でしたが、弘仁七年(816年)に空海が高野山を開創したのちに、高野山の地主神として山上に迎えられました。
伝説によれば、空海が真言密教の根本道場を開く土地を探しているとき、大和国宇智群で二匹の犬をつれた猟師に出会い、自分の所有する高野のちを大師に献じて造寺に協力するとして、その犬に山を案内させたといわれています。これが高野明神であり、狩場明神・犬飼明神ともいわれる由縁です。


日時:2011年10月16日 11:26
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摩多羅神とは


摩多羅神(またらじん)とは円仁が入唐後帰朝の際に船中で感得し、延暦寺の常行三昧堂の守護神として勧請された神です。阿弥陀経、そして念仏の守護神として知られ、これを敬わない者の往生を妨げる神ともいわれます。
平安時代末から鎌倉時代にかけ、天台宗の玄旨帰命壇という灌頂儀式の本尊として迎えられ、多くの彫像や画像がつくられましたが、江戸時代中期以降は邪教として禁止されました。


日時:2011年10月15日 15:27
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赤山明神とは


赤山明神(せきざんみょうじん)とは天台宗の守護神です。
入唐中の円仁は、求法の目的を成就せんと願い、赤山法華院の山神・泰山府君に帰朝後に禅院を建立することを誓いました。そして円仁没後、弟子の安恵がその意思を引き継ぎ、西坂本の地に鎮守として勧請し、祠堂を建立し、赤山禅院と号しました。
その後、延暦寺の別院として重きをなし、赤山権現に対する信仰も東坂本・山王社の山王信仰のそれ同様に高まり、やがて園城寺の新羅明神と対比される神となりました。


日時:2011年10月14日 15:12
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新羅明神とは


新羅明神(しんらみょうじん)とは天台宗寺門派の滋賀県・園城寺の守護神であり、園城寺五社鎮守のひとつです。
天安二年(853年)に入唐した円珍の帰朝の際に船中にあらわれたと伝えられており、また円珍が帰国したのちに現在の園城寺の地にあらわれ、その地を聖地であると円珍にすすめ、自らも垂迹し、新羅明神となったとも伝えられています。


日時:2011年10月13日 15:07
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春日赤童子とは


春日赤童子(かすがあかどうじ)は古くから法相宗護持の尊として尊ばれ、学僧を守護する守護神ともされた神です。その成立は、春日四明神の三宮・天児屋根命の天孫降臨の際の従者、御蓋山の雷神の影向、興福寺南円堂不空羂索観音の変化神などの諸説があります。
その姿は、身を赤色に彩り、髪を両肩にたらし、岩座に立つ童子で、左手を右手の上に頬杖するように置きあごをささえ、杖にもたれかかるような独特なものです。


日時:2011年10月12日 12:13
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五百羅漢とは


五百羅漢とは、究極の悟りである阿羅漢果を得た五百人の聖者のことをいいます。
「増一阿含経」や「十誦律」からは釈迦には五百人の比丘が行動をともにしていたことが窺われ、「五分律」には釈迦入滅後の第一回仏典結集に五百人の弟子が参集したことが記されています。また「法華経」の「五百弟子受記本」には釈迦が五百人の羅漢に対し仏法を伝えたことが説かれています。
しかし、インドでは五百羅漢の造像はなく、このような五百人の聖者にまつわる説話が、中国において五百羅漢の成立につながったと考えられています。


日時:2011年09月24日 11:16
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十六善神とは


十六善神とは「大般若経」、またはこの経を読誦する人を守護する護法神であり、般若十六善神・十六薬叉将・十六夜叉神・十六神王などの呼び名もあります。
日本においての信仰は、大般若会の本尊として安置される釈迦如来もしくは般若菩薩を守護する眷属としてあらわれるのみで、各尊が単独で信仰されることはありませんでした。
十六の尊名は諸経において一定せず、四天王と十二神将とをあわせた総称と解釈するものもあります。
金剛智訳「般若守護十六善神王形体」に基づいては以下の十六尊になります。

 堤頭擺宅・毘楼勒叉・摧伏毒害・増益・歓喜・除一切障難・抜除罪垢・能忍・吠室羅摩拏・毘楼博叉・離一切怖畏・救護一切・摂伏諸魔・能救諸有・師子威猛・勇猛心地


日時:2011年09月23日 10:52
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二十八部衆とは


二十八部衆とは千手観音の眷属であり、千手観音を信仰する者をまもる、二十八に部類される護法善神です。
「千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経」では千手観音の眷属として三十五の諸天の名を列記していますが、「千手観音造次第法儀軌」ではこれを二十八に部類しており、二十八部衆といわれる由来はここにあるとされています。
その二十八の神は以下になります。

・那羅延堅固王(ならえんけんごおう)
・密迹金剛力士(みつしゃくこんごうりきし)
・東方天(とうほうてん)
・毘楼勒叉天王(びるろくしゃてんおう)
・毘楼博叉天王(びるばくしゃてんおう)
・毘沙門天王(びしゃもんてんおう)
・大梵天王(だいぼんてんおう)
・帝釈天(たいしゃくてん)
・大弁功徳天(だいべんくどくてん)
・摩和羅王(まわらおう)
・神喪天(じんもてん)
・金毘羅王(こんぴらおう)
・満善車王(まんぜんしゃおう)
・畢婆伽羅王(ひつばからおう)
・五部浄居天(ごぶじょうごてん)
・金色孔雀王(こんじきくじゃくおう)
・散脂大将(さんしたいしょう)
・難陀竜王(なんだりゅうおう)
・沙羯羅竜王(さからりゅうおう)
・迦楼羅王(かるらおう)
・金大王(きんだいおう)
・満仙王(まんせんおう)
・摩ご伽羅王(まごからおう)
・摩醯首羅王(まけいしゅらおう)
・乾闥婆王(けんだつばおう)
・阿修羅王(あしゅらおう)
・緊那羅王(きんならおう)
・婆藪仙人(ばすせんにん)


日時:2011年09月22日 10:59
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八部衆とは


八部衆(はちぶしゅう)とは釈迦如来の支配下となり、仏法を守護する八種類の護法善神の総称で、天龍八部衆または龍神八部衆ともいわれます。
それぞれの名称は、一般には「法華経」第三「譬喩品」や「金光明最勝王経」等に基づき
「天・龍・夜叉・乾闥婆(けんだつば)・阿修羅・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩睺羅迦(まごろか)」
といいます。


日時:2011年09月21日 11:07
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十二神将とは


十二神将とは薬師如来の眷属である十二の夜叉の総称です。
「薬師瑠璃光如来本願功徳経」では、釈迦が薬師如来の本願と功徳につき説法を行ったときに、感動した十二の夜叉が「今後この経の流布するところ、さらには薬師如来の名号を唱えるものがあらば、これを守護し一切の苦難を除くとともに諸々の願を成就させよう」と誓ったとされています。
その十二の夜叉は以下になります。

宮毘羅・伐折羅・迷企羅・安底羅・摩尼羅・珊底羅・因達羅・波夷羅・摩虎羅・真達羅・招杜羅・毘羯羅


日時:2011年09月20日 11:30
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十二天とは


十二天とは東西南北を八方に分け、それぞれの方角を守護する八神に、天地日月の四神を加えた方位を守護する神々です。
もとは古代インドの異教の神々でしたが、仏教に取り込まれ、とくに密教において、修法が行われる壇所に勧請し、魔性が侵入することを防ぎ、修法空間の聖性を保つ役割を担った護法神です。

帝釈天…東
火天…東南
焔魔天…南
羅刹天…西南
水天…西
風天…西北
毘沙門天…北
伊舎那天…東北
梵天…天
地天…地
日天…日
月天…月


日時:2011年09月19日 11:20
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深沙大将とは


深沙大将(じんじゃだいしょう)とは仏教の護法善神で、別名を深沙神、深沙神王ともいいます。
深沙大将の日本への伝来は、平安時代初期に唐から帰った密教僧・常暁によってなされました。「常暁和尚請来目録」には深沙大将は玄奘三蔵が天竺に赴く途中、流沙(砂漠)において遭遇し、玄奘を苦難から救った護法神であると記されています。
そのすがたは、左手に蛇を巻きつけ、髑髏の瓔珞を首にかけ、腰には獣皮のみを着ける、筋骨隆々とした鬼神のすがたであらわされます。


日時:2011年09月18日 11:48
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栄西とは


栄西(えいさい)は日本臨済宗の祖といわれる高僧です。
保延七年(1141年)に備中に生まれ、十四歳のときに比叡山で登壇受戒し、天台、密教を学びました。
仁安三年(1168年)に入宋し、天台の新しい章疎三十余部などをともない帰国し、文治三年(1187年)に再び入宋し天台山で虚庵懐敞の臨済宗黄竜派の後継者となりました。
その後帰国し、京で禅宗の布教につとめましたが、日本達磨宗と混同され、朝廷から禅宗停止が命ぜられました。
これに対し、「興禅護国論」を著し、禅宗の宗旨を説明し、一方では鎌倉幕府の帰依を得て幕府関係の仏事の導師をつとめ、源頼家の外護で京都に建仁寺を建てました。
その後、朝廷は建仁寺に天台・密教・禅の三宗を置くことを認め、栄西は重源の跡をつぎ、東大寺勧進職になりました。


日時:2011年09月17日 10:50
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重源とは


重源(ちょうげん)とは鎌倉時代初期に活躍した高僧です。
保安二年(1121年)に生まれ、醍醐寺で出家し、密教を学ぶとともに、法然から浄土教を学びました。
仁安二年(1167年)に入宋し、その翌年に栄西らとともに帰国しました。
また南都燃亡後の東大寺再建にあたり、養和元年(1181年)に東大寺勧進職に任ぜられ、文治元年(1185年)に大仏開眼供養、建久元年(1190年)に大仏殿上棟、建仁三年(1203年)に東大寺総供養が行われました。

重源の信仰は念仏によるものであり、人々に「阿弥陀仏号」を与え教化し、自らを南無阿弥陀仏と称しました。
東大寺の再建にあたっては大仏様と称される新しい中国の建築方式を導入し、中国人の工人を起用しました。


日時:2011年09月16日 10:51
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源信とは


源信とは浄土教思想を明確にした平安時代中期の天台の高僧です。
天慶五年(942年)に大和に生まれ、良源に師事し、十三歳で得度しました。その後横川の恵心院に隠棲しました。
このころより、念仏結社の思想に触発され、「往生要集」を著しました。
その内容は流転輪廻する六道の迷いを捨て去り、阿弥陀仏のいる西方極楽浄土に往生することをすすめるもので、そのためには念仏を中心とすればよいとはじめて明確にした著作です。そしてこれが日本の浄土教思想の基盤を築くものとなりました。


日時:2011年09月15日 11:04
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空也とは


空也(くうや)とは、諸国を阿弥陀仏の名号を唱えながら行脚した、延喜三年(903年)に生まれたとされる、平安時代中期の僧です。
巷で民衆に念仏を広め歩いたことより、市聖(いちのひじり)・阿弥陀聖などとも呼ばれました。
また、各地の遊行途次に、道路の修理や架橋などの土木事業も行いました。
後に六波羅蜜寺となる西光寺を創建し、天禄三年(972年)その地で没しました。


日時:2011年09月14日 11:24
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円仁とは


円仁(えんにん)とは平安時代の高僧で、天台宗山門派の祖とされる人物です。
延暦十三年(794年)に下野に生まれ、最澄に天台を学び、承和五年(838年)に入唐しました。
全雅から密教を修得し、帰国後、延暦寺座主に任じられました。
また、堂塔の建立や、様々な法会をはじめるなどをして、比叡山に天台密教の基礎を築きました。
著作としては入唐中の旅行記である『入唐求法巡礼行記』が有名です。


日時:2011年09月13日 11:02
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鑑真とは


鑑真(がんじん)とは日本の律宗の開祖である、中国・唐代の高僧です。
唐・嗣聖五年(688年)に揚州で生まれ、長安の実際寺で具足戒を受けました。
その後各地で仏教諸宗を学び、やがて授戒を行い、伝戒師としてその名が広まりました。
その頃の日本では戒律の整備の必要性が高まり、入唐した僧栄叡・普照により来日を懇願され、日本への渡航を決意しました。
その後幾多の渡航失敗を乗り越え、来日した後、東大寺大仏殿前に臨時の戒壇を設け、聖武天皇・光明皇太后をはじめ多くの僧に戒を授けました。その翌年には大仏殿に西に戒壇院をつくり、大僧都に任じられました。
また、唐招提寺を創建し、戒律の根本道場とし、後に朝廷から大和上の尊号を受けました。


日時:2011年09月12日 12:28
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行基とは


行基(ぎょうき)とは奈良時代に民衆を中心に仏教の布教に尽力し、また灌漑や土木事業も行った高僧です。
持統天皇二年(688年)に大阪に生まれ、薬師寺で唯識を学びました。
その後、各地で民衆に布教活動をするとともに、人々を動員し、道路や橋・ため池などを造営しました。
このことが原因で、僧尼令に反しているとして布教を禁じられました。
しかし、その後も民衆の信望はあつく、その動員力に注目した政府は、禁圧をゆるめ、東大寺大仏造営の勧進職にい登用しました。
そして僧侶として最高位である大僧正に任ぜられ、聖武天皇に菩薩戒を授けました。


日時:2011年09月11日 12:10
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玄靴箸


玄掘覆欧鵑椶Α砲箸蓮奈良時代前半に活躍した、法相宗六組の一人にも数えられる法相宗の高僧です。
義淵に唯識を学び、吉備真備らとともに遣唐使船で入唐し、数多くの仏像・経論をたずさえ帰国しました。
その当時は国内では仏教による国家の安泰が期待され、聖武天皇の政治の場に登用され、政治顧問的な地位を得ました。そのことにより反感を買い、藤原広嗣の乱が起こり、乱の平定後、筑紫観世音寺に左遷されその翌年に亡くなりました。
玄靴唐からもたらした経論は「開元釈教録」収載の五千余巻に相当し、奈良時代の仏教文化に大きな影響をあたえました。


日時:2011年09月10日 11:58
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世親とは


世親(せしん)とは四〜五世紀のガンダーラ出身の唯識派の仏教学者で、梵名はヴァスバンドゥといいます。天親とも呼ばれ唯識教理の基礎を築いた無著の弟でもあります。
はじめは小乗仏教の説一切有無を学び、その後無著の感化を受け、大乗仏教に転じ、唯識思想を大成しました。
大乗に転じてから著した、『唯識三十頌』は、後に法相宗の所依の根本論書となりました。


日時:2011年09月09日 14:20
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無著とは


無著(むじゃく)とは梵名をアサンガという、インド大乗仏教の代表的な論師で、無着とも書かれます。
四世紀のガンダーラにバラモンの子として生まれ、部派仏教の化地部において出家をしました。
唯識派の三大論師のひとりであり、唯識教理の基礎を築きました。
伝説では、はじめは小乗仏教を学びましたが満足できず、弥勒のもとにつき大乗の空観思想を学んだといわれています。
主な著作として「摂大乗論」などがあります。


日時:2011年09月08日 11:10
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馬鳴とは


馬鳴(めみょう)とは、梵名をアシュヴァゴーシャという古代インドの仏教僧侶・仏教詩人です。
もとはバラモンの論客でしたが脇尊者(または富那奢)に論破されてから仏教を研究し、菩薩の称号を得たといわれています。
とくに釈迦の生涯を題材とした「ブッダ・チャリタ」という叙事詩は古代インド文学にその名をとどめています。


日時:2011年09月07日 10:59
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維摩とは


維摩(ゆいま)とは維摩経の主人公である人物で、梵名はヴィマラキールティーといい、維摩詰(ゆいまきつ)・維摩居士とも称されます。
釈迦とほぼ同じ年代に生きた、毘舎離城(ヴァイシャリー)の富豪であるとされています。
在家の仏教徒でありながら菩薩や釈迦の弟子を凌ぐほど大乗仏教の真理に至っていたといわれ、その存在は在家の仏教徒の理想的な姿とされ、信仰を集めています。
維摩経に登場する、病床にある維摩を文殊菩薩が見舞い、仏教について問答する場面はことに有名です。


日時:2011年09月06日 11:11
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須菩提とは


須菩提(しゅぼだい)とは釈迦の十大弟子の一人で、祇園精舎でなされた釈迦の説法を聞き釈迦の弟子になったといわれています。
仏教の中でとても重要な概念とされる「空」につき精通していたことから解空第一と呼ばれます。


日時:2011年09月05日 10:46
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阿難陀とは


阿難陀(あなんだ)とは釈迦の十大弟子の一人で、阿難とも呼ばれます。
阿難陀は常に釈迦のそばにおり、数多くの説法を聞き、それを記憶していました。故に、ほとんどすべての経典は「わたしはこのように聞いている」という言葉ではじまりますが、この「わたし」とは阿難陀のことだといわれています。
また、これらのことより多聞第一と呼ばれます。
阿難陀は釈迦の叔母の出家が、女性であることを理由になかなか認められなかったのを、釈迦を説得し実現させたといわれています。
これ以降女性の仏教教団が成立することになりました。


日時:2011年09月04日 10:29
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目犍連とは


目犍連(もつけんれん)とは釈迦の十大弟子のひとりで、名前を略し目連とも呼ばれます。
舎利弗の隣村に住んでいたといわれており、舎利弗とともに釈迦に弟子入りしました。
神通力に優れていたといわれており、神通第一と呼ばれました。
盂蘭盆会は目連が神通力によって地獄におちた母を救ったという故事にちなみはじめられたといわれています。
その最後は、修行中のため町を歩いていたところを、他の教団の者に襲われて死んだといわれています。


日時:2011年09月03日 11:32
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舎利弗とは


舎利弗(しゃりほつ)とは釈迦の十大弟子のひとりで、「般若心経」をはじめとし多くの経典で釈迦の問いかける相手として登場します。
早くから学徳が優れていることで知られており、釈迦のことを知ると目連(目犍連)とともに弟子入りし、その弟弟子二百人ほども後を追い弟子入りしたといわれています。
智慧第一と尊敬をされていましたが、釈迦より早くに亡くなってしまったといわれています。


日時:2011年09月02日 13:00
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羅睺羅とは


羅睺羅(らごら)とは釈迦と妻・ヤショーダラーとの間に生まれた実子であり、釈迦の十大弟子のひとりです。
羅睺羅は釈迦がさとりをひらいた後、はじめて故郷に帰ったときに出家をしたといわれています。
釈迦の子として特別視されることを嫌い、より厳しく戒律を守ったことから密行第一と呼ばれています。


日時:2011年09月01日 12:52
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優波離とは


優波離(うばり)とは、釈迦の十大弟子の一人でもとはカピラ城につかえる理髪師でした。
戒律に詳しく、自らも戒律を厳しく守ったので、戒律第一と呼ばれています。
釈迦が亡くなった後にすぐ行われた、最初の経典編纂会議では、自らが記憶していた戒律を読みあげたといわれています。


日時:2011年08月31日 11:00
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迦旃延とは


迦旃延(かせんねん)は釈迦の十大弟子の一人であり、那羅陀という名でもあります。
迦旃延はバラモンの出身であり、釈迦が誕生したときに、彼がかならず将来にさとりをひらくであろうと予言したアシタ仙人の弟子でした。そして、釈迦がさとりをひらくとアシタ仙人の命によりすぐに釈迦の弟子になったとされています。
議論に大変すぐれていたことより、論議第一といわれています。


日時:2011年08月30日 10:39
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富楼那とは


富楼那(ふるな)とは釈迦の父・シュッドーダナ王に仕えた国師の子でしたが、釈迦がさとりをひらいたと聞きすぐに弟子となった人物で、十大弟子のひとりです。
説法がとても上手で、教えを音楽的に歌い上げたといわれており、全国各地を遊説してまわったため、説法第一と呼ばれています。


日時:2011年08月29日 10:57
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阿那律とは


阿那律(あなりつ)は釈迦の従兄弟といわれる十大弟子のひとりで、様々な学問に通じているとされています。
阿那律はあるとき釈迦の説法中に居眠りをしてしまい、このことを深く反省し絶対に眠らない誓いを立てました。
そのため目が見えなくなってしまいましたが、その代わりに天眼通というすべてを見通す能力を身につけ、このことより天眼第一と呼ばれました。


日時:2011年08月28日 10:50
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大迦葉とは


大迦葉(だいかしょう)とは仏教団の中心的存在であり、釈迦の死後経典を編集する際にリーダーをつとめたといわれる、釈迦の十大弟子のひとりです。
頭陀という欲望を払いのける修行にすぐれていたことより、頭陀第一との呼び名があります。
大迦葉ではなく「迦葉」ということもありますが、教団に同名の者がいたので、尊敬の意味を込めて大迦葉と呼ばれます。


日時:2011年08月27日 10:53
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十大弟子とは


十大弟子とは釈迦の弟子のなかでももっともすぐれた十人の弟子のことで、羅漢などの原型でもあります。
経典の冒頭には、その説法を聞いていたものの名前が列記されていますが、そのなかにはほぼ十大弟子が登場します。
そのすがたは羅漢のように奔放なものではなく、通常は端正な修行者のすがたで造られます。


日時:2011年08月26日 10:45
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賓頭盧尊者とは


賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)とは十六羅漢の第一尊者です。
修行の結果、神通力を身につけましたがそれを濫用したため、釈迦に叱られ、罰として釈迦の死後も世にとどまり人々を救済することを命じられました。
また、賓頭盧尊者は病気を治すということでも知られ、自分の病気がある部分と同じ賓頭盧尊者象の部分をさすれば、その病気が治るといわれています。
このことから「なでぼとけ」として親しまれ、「おびんずるさま」という親しみを込めた呼称もあります。


日時:2011年08月25日 10:54
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十六羅漢とは


十六羅漢とは、釈迦の命により長くこの世にとどまり仏法を護っている十六の羅漢達です。
ふだんは離れたところに住み、それぞれが多くの眷属を従えているといわれています。


日時:2011年08月24日 10:45
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羅漢とは


羅漢(らかん)とは、サンスクリット語で「アルハット」という言葉を音訳した「阿羅漢」が省略された言葉で、尊敬に値する人という意味です。
もともとはすぐれた宗教家や修行者に対する呼称でしたが、仏教においてはさとりをひらいた修行者の意味で使われるようになりました。
羅漢は自身のみがさとりに達し他の人々を救いません。故に大乗仏教においてはその存在は否定されました。
日本の仏教では大乗仏教の流れをくんでいますので、寺院に羅漢の像がまつられることはありません。しかし禅宗においては羅漢を修行をしていく目標のひとつとして重要視しており、禅宗の寺院では羅漢像もみられます。


日時:2011年08月23日 12:39
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妙見菩薩とは


妙見菩薩(みょうけんぼさつ)とは北極星を神格化した仏であり、「妙見尊星王」・「北斗妙見菩薩」という名もあります。
もともとはインドで生まれた神ですが、中国道教の影響を強く受けているといわれています。ご利益として長寿を招き、災いを除くとされています。
そのすがたは何種類かあり、手が二本のもの・四本のもの、雲の上に坐るもの・青竜の上に立つもの、などのすがたであらわされます。


日時:2011年08月22日 12:32
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青面金剛とは


青面金剛(しょうめんこんごう)は疫病の神として知られ、故に疫病を流行らせないために信仰の対象となった仏神です。
そのすがたは青い肌に蛇を巻きつけ、髑髏の飾りをつけ、ては六本、四本、日本など様々なものがあります。
また、道教の信仰と習合し、庚申様とも呼ばれています。
これは、人間の身体の中には三尺虫というものが棲んでおり、これが庚申の日に天にのぼりその人間の悪行を報告するので、庚申の日には一晩中起きているという、道教の庚申信仰が元になっています。
さらに、庚申の「申」という文字から、猿に対する信仰とも習合し、庚申塔などに「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿が彫られるようになりました。


日時:2011年08月21日 11:10
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三宝荒神とは


三宝荒神(さんぼうこうじん)とは、日本の神仏習合の中から生まれた仏神です。
宝とは仏教の三つの宝である「仏(如来)・法(仏の教え)・僧」のことをいい、三宝荒神は仏教を護る神です。
そのすがたは八面六臂のすがたであらわされます。
修験者や日蓮宗のあいだで信仰され、また「かまどの神」としても広く信仰されています。


日時:2011年08月20日 10:59
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蔵王権現について


蔵王権現(ざおうごんげん)はインドに起源をもたない仏で、役行者が吉野の金峰山で修行をしているときに現れた神といわれ、吉野を中心に修験者に広く信仰されました。
そのすがたは明王に似ており、三つ目に右手には独鈷または三鈷を持ち、岩の上に立ち右足をあげたすがたであらわされます。


日時:2011年08月19日 11:38
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八幡神とは


八幡神(はちまんしん・やはたのかみ)とは源義家や源頼朝が篤く信仰したことにより武士の守り神として広く信仰をあつめた神です。一般的には応神天皇であるといわれており、また早くから仏教と習合し「八幡大菩薩」という呼び名もあります。
八幡神をまつる八幡宮はとても数が多く、最も古いとされる宇佐八幡宮が総本社とされています。


日時:2011年08月18日 11:16
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玄奘について


玄奘(げんじょう)とは西遊記の三蔵法師のモデルとなった中国の僧侶です。
若くして学識が深く、インドに新しい経典を求めて旅立ち、十七年にわたる旅の末に多くの経典を持ち帰り帰国後はその翻訳に没頭しました。その翻訳は的確であり、現在私たちが見る経典の多くは玄奘が翻訳したものとされています。
そのすがたは大きな経典の入った行李(こうり)を背負い、インドから帰るすがたに彫像されます。


日時:2011年08月17日 11:18
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役行者とは


役行者(えんのぎょうじゃ)とは初期奈良時代に奈良・葛城山を中心に活躍した山岳呪術者です。
修験道の開祖といわれ、正しくはその名を役小角といい、神変大菩薩とも呼ばれます。
多くの霊山は役行者により開かれたという伝説があり、鬼神を使い水汲みや薪割りをさせたとも伝えられています。そのため、修験者の間では役行者に対する信仰はとても大きかったようです。
そのすがたはやせた老人のすがたであらわされ、手には錫丈を持ち、岩の上に坐っているすがたで彫像されるのが一般的です。


日時:2011年08月16日 10:59
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良源について


良源は天台宗中興の祖として崇拝されている僧侶で、慈恵大師との名もあり、元三大師の名で一般的には知られています。
魔除の護摩を焚いていたときに、壁に映ったその影が角の生えた鬼のすがたをしていたという伝説があり、そのすがたを写した護符が「角大師」と呼ばれ、今にも伝えられています。
また、僧兵の元祖ともいわれ、その他にも怨霊の神としても民間の信仰をあつめました。


日時:2011年08月15日 11:21
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一遍について


一遍とは時宗の開祖であり、遊行上人、円照大師、智真などの名もあります。
伊予の豪族の子に生まれ、若くして出家しましたが、一度還俗し豪族の生活に戻っています。
その後再び出家してからは全国をめぐり、「南無阿弥陀仏」とかかれた札を配り歩きました。そして、信者とともに踊り、踊り念仏を始めました。
一遍は「捨聖」という名があるように、あらゆるものを捨て、「南無阿弥陀仏」ととなえることを説きました。自らも経典や自分の著作なども焼き捨て、捨てることを徹底していました。


日時:2011年08月14日 10:49
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道元について


道元は曹洞宗の開祖であり、希玄、承陽大師、仏性伝東国師などの名もあります。
公家の家に生まれましたが、比叡山に登り天台宗を学び、それにあきたらず中国にわたり禅を学びました。
そして帰国後は越前に永平寺を建て、修行者の育成に努めました。
道元は何よりも坐禅を重視し、教義にとらわれることなくとにかく坐禅をすることを勧めました。
また著した「正法眼蔵」は、日本最高の哲学書といわれ、現在でも高く評価されています。


日時:2011年08月13日 13:17
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毘盧遮那仏とは


毘盧遮那仏(毘盧遮那如来)とはサンスクリット語で「ヴァイローチャナ」という太陽をあらわす言葉で呼ばれる仏です。
毘盧遮那仏は仏教の教えを人格化した、法身仏であり宇宙の永遠をあらわしています。
故に、仏教の教えを説いたのは釈迦ですが、その根本には毘盧遮那仏がおり、毘盧遮那仏が本仏であり、釈迦はその分身ということになります。つまり釈迦と毘盧遮那仏は切り離せない関係となり、毘盧遮那仏がいなければ真理は存在せず、釈迦がいなければそれを伝えるものがいないということになります。


日時:2011年08月12日 13:01
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過去七仏とは


過去七仏とは釈迦誕生以前に存在した六人の仏(毘婆尸仏、尸棄仏、毘舎浮仏、倶留孫仏、倶那含牟尼仏、迦葉仏)に釈迦を加えた七仏のことです。
釈迦がさとった真理が時間・空間を超えた真理であるならば、釈迦以外にもその真理をさとったものがいるはずであるという考えから、過去七仏の信仰が生まれました。


日時:2011年08月11日 12:43
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仏頂尊とは


仏頂尊(ぶっちょうそん)とは如来の頭頂部(肉髻)を神格化したものです。
仏のからだはどこの部分も神聖で功徳があるものとされていますが、そのなかでも頭頂部の肉髻は最上のものとされています。
しかし、そのすがたは頭頂部だけではなく、蓮華座の上に坐っている菩薩のすがたであらわされます。
古くは仏頂尊を本尊として、様々な祈祷が行われてきたとされています。


日時:2011年08月10日 12:16
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多宝如来について


多宝如来(たほうにょらい)は単独で作られることはなく、釈迦如来と並び座るすがたに造られます。
その由来は法華経の説話にあります。
釈迦が法華経を説いたときに、空中に宝塔があらわれ「善きかな」という声が聞こえました。釈迦はそれを「はるか東方の世界に住んでいた多宝如来の塔で、この中に多宝如来がいる」と教えました。
そして釈迦がその塔の扉をあけ多宝如来が姿をあらわすと、多宝如来は座をの半分を空け、釈迦に隣に坐るようにいいました。
この情景をあらわしたものが二仏並坐像です。


日時:2011年08月09日 12:52
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金剛薩埵について


金剛薩埵(こんごうさった)とは密教においてはとても重要な仏で、大日如来の説法の相手をするとされています。
つまり、大日如来の教えを理解しそれを人間に伝える役目を果たす存在となります。
金剛とはダイヤモンドのことであり、薩埵とは衆生(人間を含む生き物一般)のことです。そして菩薩という言葉は「菩提薩埵」の略であり、ダイヤモンドのような固い菩提心を持つ最高の菩薩ということになります。
またそれと同時に大日如来の化身でもあり、大日如来の教えを正しく伝えることのできるものとして造りだされた存在でもあります。
そのすがたは大日如来と同じく菩薩形であり、持物として金剛杵と鈴を手に持っています。


日時:2011年08月08日 12:35
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普賢延命菩薩について


普賢延命菩薩とは普賢菩薩の延命の徳をあらわしたもので、密教において発展した菩薩です。普賢延命菩薩を本尊として延命・除災を祈る加持祈祷が行われ、天台宗ではこの祈願を四大法のひとつとしています。
日本においては空海の時代から、普賢延命菩薩に対する信仰がはじまり、平安時代以降は天皇家の守護本尊となりました。
そのすがたは二臂のものと二十臂のものがあります。二臂のものは頭が三つある象にのり、右手には金剛杵、左手には金剛鈴を持ちます。二十臂のものは四頭の象にのり、金剛杵や法鈴など様々なものを手にしています。



五秘密について


五秘密(ごひみつ)とは滅罪の修法の本尊とされる仏教絵画で、ひとつの円のなか、ひとつの蓮台の上に五体の菩薩が描かれたものです。
五体の菩薩は金剛薩埵、欲金剛、触金剛、愛金剛、慢金剛であり、金剛薩埵以外の菩薩は人の欲望をあらわしています。つまり、五秘密像は欲望も浄化し、昇華すれば清らかな仏の境地に達することができるということを示します。


日時:2011年08月04日 10:29
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般若菩薩について


般若菩薩は般若経の本尊とされています。
般若とはものごとを瞬時にさとる直感的な智慧のことであり、仏教ではこれを最高のものとしています。
この般若の智慧のありかたを説く経典が般若経であり、つまり般若菩薩は智慧と仏法の象徴といえます。
すがたは普通の菩薩形ですが、首まである衣を身につけ、他の菩薩のように上半身があらわにはなっていません。
ては六本ないし二本であり、持物である経巻は般若経を象徴します。


日時:2011年08月03日 11:02
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馬鳴菩薩について


馬鳴菩薩(めみょうぼさつ)はもとは中国の民間信仰で信仰されていた神が仏教にとりいれられたものです。
またの名を蚕神といい、養蚕の神、または貧しい人々に衣服をあたえてくれる菩薩とされています。
そのすがたは馬に乗り、まわりに中国風の着物を着た眷属が従うというようにあらわされます。
手が二本のもの、または六本のものがあり、六本のものは手に糸枠、さお秤、糸などをもっています。


日時:2011年08月02日 12:27
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准胝観音について


准胝観音(じゅんていかんのん)はヒンドゥー教の女神チュンディーから生まれたといわれ、観音の変化身のひとつとされています。准胝とはサンスクリット語のチュンディーを音写したものです。
准胝観音の七倶胝仏呪という陀羅尼(呪文の一種)は仏がさとりを得るための効能があるといわれ、この巧徳で過去に七千万(七倶胝)の仏があらわれたといわれています。
ゆえにインドの経典には准胝仏母、七倶胝仏母と記されています。


日時:2011年08月01日 11:53
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延命観音について


延命観音とは、三十三観音にかぞえられる観音菩薩であり、呪いを解き、毒を除き、寿命を延ばしてくれる観音菩薩といわれています。
二十本の手を持つといわれていますが、実際には必ずしもそのすがたであらわされていいるとはかぎりません。


日時:2011年07月31日 11:41
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馬郎婦観音について


馬郎婦観音(めろうふかんのん)は三十三観音にかぞえられる観音菩薩です。
馬郎婦観音については下記のような伝説があります。
中国の唐の時代に、魚を売る美女がいました。多くの男が求婚しましたが、経典をよく暗誦できるもののもとに嫁ぐといい、最後には馬氏と結婚しました。実はこの美女は人々を教化するためにあらわれた観音の化身であつたのです。
この伝説から馬郎婦観音は中国の美人のすがたにあらわされます。


日時:2011年07月30日 11:21
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魚籃観音について


魚籃観音(ぎょらんかんのん)とは三十三観音のひとつにもかぞえられる観音菩薩です。
魚籃とは魚をいれる籠であり、その名前が示すとおり魚をいれた籠を手にしたすがたをしており、ときには大魚の背中に乗っているすがたでもあらわされます。
毒を除く観音菩薩としての信仰があり、鮮魚を扱うお店や調理師の魚供養の本尊としても信仰されることもあるようです。


日時:2011年07月29日 11:10
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水月観音について


水月観音(すいげつかんのん)は楊柳観音に似たもの、孔雀の羽・剣・宝珠をもつものなど、様々なすがたであらわされますが、全て水に映った月を見ているすがたにあらわされる観音菩薩であり三十三観音にもかぞえられます。
信仰するものには出世・財産を与え、旅行の安全や水難から身を守ってくれるといわれています。


日時:2011年07月28日 10:50
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青頸観音について


青頸観音(しょうきょうかんのん)はヒンドゥー教の神話にその由来がある観音菩薩です。
かつてインドの諸神は甘露(アムリタ)という不死の妙薬を求め、乳海を撹拌しました。このときに猛毒が発生し、世界を焼きつくさんとしましたが、これを見たシヴァ神がこの毒を飲み、世界を救いましたが、毒を飲んだためシヴァ神の喉は青く焼けてしまいました。
この神話が仏教に取りいれられ、青頸観音が生まれました。
青頸観音は信仰することによりすべての災難・恐怖から救済されるといわれています。


日時:2011年07月16日 16:08
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楊柳観音について


楊柳観音(ようりゅうかんのん)は三十三観音にかぞえられる観音菩薩です。
右手には柳の枝を持ち、ときには柳がかたわらの水瓶に差し入れられ、岩の上に座したすがたであらわされます。
その手に持った柳で病魔を取り払うといわれ、人々を病魔から護るご利益があるとされています。


日時:2011年07月15日 15:59
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金剛夜叉明王について


金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)は五大明王の一尊にかぞえられる明王であり、金剛(もっとも硬い金属)のような強い力をもってあらゆる煩悩を破壊する明王です。
多くは五大明王の一尊として造られ、不動明王のように単独信仰されることはほとんどないようです。
また、不空成就如来の教令輪身(如来や菩薩が命令的に強引に教え導くときにあらわす忿怒のすがた)として北方を護るといわれています。



大威徳明王について


大威徳明王 (だいいとくみょうおう)とは別名を「降閻魔尊」といい、そのすがたから「六足尊」、「六面六臂六足尊」ともいわれる明王です。五大明王の一尊にかぞえられ、阿弥陀如来・文殊菩薩の化身といわれています。ゆえに憤怒の表情をしていますが、阿弥陀如来・文殊菩薩の慈悲のこころもあわせ持つとされています。
また戦勝祈願の本尊としても信仰をされています。
特徴として水牛の上にのっていることがあげられ、水牛がたんぼの泥水のなかを自由に歩き回るように、汚れの多い現世を、障害をものともせず進んでいくことを象徴しています。


日時:2011年07月13日 10:46
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軍荼利明王について


軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)は宝生如来の教令輪身(如来や菩薩が命令的に強引に教え導くときにあらわす忿怒のすがた)であり五大明王の一尊にかぞえられる明王です。
別名を軍荼利夜叉、甘露軍荼利などといい、あらゆる障害を排し、歓喜天を支配するといわれています。
また手足には多くの蛇を巻きつけており、これらの象徴する煩悩を征服することを示しています。


日時:2011年07月12日 11:07
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降三世明王について


降三世明王(ごうざんぜみょうおう)とは金剛薩埵の化身ともいわれ、五大明王の一尊にかぞえられる明王です。別名は吽迦羅金剛、孫婆明王ともいわれます。
三世とは人間の三惑(貪欲、瞋恚-いかり、愚痴)のことであり、これらを降伏することから降三世といわれます。
足下にはヒンドゥー教の最高神・シヴァ神とその妻ウマーを踏みつけています。シヴァ神は仏教の真理を疑う見惑を、ウマーは幾多の現象にとらわれ迷う修惑のことをあらわし、これらを踏みつける、すなわち征服することをあらわしています。


日時:2011年07月11日 10:40
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孔雀明王について


孔雀はインドにおいては、毒蛇を食べてくれる益鳥として大切にされてきました。それが転じ煩悩を食い尽くし、人間を救ってくれると考えられていました。また雨期の到来をいちはやく告げることから、恵の雨をもたらすありがたい鳥として大切にされてきました。
このようにありがたい鳥として崇拝されてきた孔雀が仏教にとりいれられ、孔雀明王となりました。
仏像にはめずらしく、女性の仏であり、明王の中ではただ一尊、やさしい表情の菩薩のすがたをしています。


日時:2011年07月10日 10:52
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大元帥明王について


大元帥明王(だいげんすいみょうおう)はサンスクリット語でアータヴァカという明王の一尊です。
この明王に帰依すれば、一切の将軍を統率し、外敵を退散させ、国内を守護するといわれており、本尊として大元帥法という修法を行えば鎮護国家・戦勝・疫病退散などの願いがかなえられると伝えられています。
そのすがたは四面六臂、また八臂で顔にはそれぞれ三つの目をそなえ、骸骨や蛇、八つ裂きにした人間を身にまとったすがたであらわされます。
またその顔は他の明王の憤怒の相とは比べ物にならないほどのおそろしい相であらわされます。


日時:2011年07月09日 10:27
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歩擲明王について


歩擲明王(ぶちゃくみょうおう)は普賢菩薩の化身ともいわれる明王で、八大明王の一尊にかぞえられます。
現世で迷い苦しむ人々を救済し、罪人に菩提心(さとりを求めるこころ)をおこさせるといわれています。
そのすがたは顔ひとつ、手二本の一面二臂で、右手には傘蓋(さんがい - 幾重もの傘)を持ち左手には金剛杵を持っているのが特徴です。
彫像はほぼ見られず、ほとんどが八大明王の画像のなかに描かれています。


日時:2011年07月08日 17:46
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無能勝明王について


無能勝明王(むのうしょうみょうおう)はサンスクリット語で「アパラージタ」といわれる八大明王の一尊です。
その名の通り、誰も勝つことができ無いといわれており、地蔵菩薩の化身ともいわれています。
また、釈迦が悟りをひらいたときに悪魔がきて妨害したといわれていますが、このときに呪力によってこれを退散させたのがこの明王だといわれています。
そのすがたは顔四つ、手四本の四面四臂のすがたが一般的です。持物は武器を持ちますが、右の二番目の手は上方を指さし、勝利の形をとっています。


日時:2011年07月07日 17:34
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大輪明王について


大輪明王は一切の障害を除くといわれる明王で八大明王の一尊にかぞえられ、弥勒菩薩の化身であるという説もあります。
そのすがたは黄色のからだで右手に金剛輪(法輪)を持ち、左手に金剛杵を持ち、左の膝をたて、蓮華の台座にすわっているすがたであらわされます。


日時:2011年07月06日 10:27
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馬頭明王について


馬頭明王(ばとうみょうおう)は馬頭観音の変化身とされており、その性格やすがたは馬頭観音ととてもよく似ています。
八大明王の一尊に数えられ、馬やその他畜生の守護神としても信仰の対象となっています。


日時:2011年07月05日 11:02
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羅刹天について


羅刹天(らせつてん)とはヒンドゥー教の鬼神・羅刹が仏教にとりいれられたものです。荼吉尼と同様に人を食べ、男は醜く、女はとても美しいといわれます。
その羅刹も仏教にとりいれられてからは羅刹天という護法善神となり、十二天にも属しています。
また、法華経には十羅刹女(法華経を信仰する人を護る十人の女の羅刹)について説かれています。


日時:2011年07月04日 10:43
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迦陵頻伽について


迦陵頻伽(かりょうびんが)とは半人半鳥(上半身が人)の極楽浄土にに住む鳥で、阿弥陀如来の功徳によって生じたものといわれています。
とても声が美しいとされており、雅楽の迦陵頻という演目は迦陵頻伽に由来しているとされています。
またその美しい声は仏の声とも形容され妙音鳥、好声鳥、逸音鳥、妙声鳥などともいわれます。


日時:2011年07月03日 10:40
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荼吉尼天について


荼吉尼天(だきにてん)はもとはヒンドゥー教の女神であったのが仏教にとりいれられたものです。
人間の心臓を食べる鬼といわれ、人が死ぬのを六ヶ月前に知るともいわれていますが、これは如来の化身であって人の垢を食い尽くすのだと仏教ではいわれます。
また日本においては荼吉尼天の本体はキツネの精であるという説が流布し、そのことから稲荷神の神体としてまつられるようになりました。


日時:2011年07月02日 10:32
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韋駄天(いだてん)について


韋駄天(いだてん)はヒンドゥー教の神・スカンダが仏教にとり入れられたものです。
スカンダはシヴァ神の子供といわれており、とても足が速く魔を退治することに優れていたといわれています。
また、釈迦が入滅したときに、鬼神が仏舎利を盗んだのを、追いかけて取り戻したといわれています。
禅宗の寺院では伽藍の守護神とされており、庫裏(くり - 台所)にまつられることが多いようです。



聖天について


聖天は大聖歓喜天や歓喜天などとも呼ばれる、仏教の護法善神です。
シヴァ神とその妻パールヴァティーとの子供であるといわれ、ガネーシャと同神とされています。
そのすがたは人間の体に象の頭というすがたであらわされます。
聖天は物事に対する障害を取り除き富貴をもたらす神といわれており、また夫婦和合、子授けの神としても信仰されています。聖天をまつる際には酒と歓喜団(かんぎだん - お団子)、大根を供えるとされています。


日時:2011年06月30日 11:00
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摩利支天について


摩利支天(まりしてん)はかげろうを神格化した天部の護法善神で、末里支天とも書かれます。
伝説では帝釈天と阿修羅が戦ったときに、日月の光をさえぎったといわれています。また梵天の子供であるという説もあります。
また、護身・勝利の神として中世以降には武士の信仰を集めました。
そのすがたは二種類あり、うちわを持ち二臂で天女形のものと、三面六臂でいのししの上に立つものがあります。


日時:2011年06月29日 10:42
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大自在天について


大自在天とはヒンドゥー教の最高神・シヴァ神が仏教に取り入れられたものです。
不動明王もまたシヴァ神がもとになっているといわれていますが、大自在天のほうがよりシヴァ神の性格を残しているとされています。
そのすがたは三つ目で、手には武器を持ち、白牛の上に乗っています。また手の数は二本、四本、十八本など様々な種類があります。


日時:2011年06月28日 11:18
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月天について


月天(がつてん)とはサンスクリット語で「チャンドラ」という月を象徴化した神が仏教に取り入れられたものです。
正式にはその名は月天子といわれ、月天はその略称です。
月天は勢至菩薩の化身であるともいわれ、そのすがたは月輪または半月杖(先端に半月がついた杖)を持物として持ち、ガチョウの上にのっているすがたであらわされます。


日時:2011年06月27日 10:49
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日天について


日天とは、のちにインドの太陽神スーリヤと同一視される、想像力を神格化した神・アーディティが仏教に取りれられたものです。
仏教においては日天は観音菩薩の化身であり、太陽は日天の宮殿とされています。
そのすがたは三頭または八頭の馬の上に乗り、日輪を持つものが代表的ですが必ずしも一定してはいないようです。


日時:2011年06月26日 11:10
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地天(ぢてん)について


地天(ぢてん)とは古代インド神話における大地を象徴する神・プリトヴィーが仏教に取り入れられたものです。
伝説では釈迦が悟りをひらいたとき、地天が地の中から現れ、釈迦が悟りをひらいたことを証明したとされています。
仏教においては男神とされていますが、もとは女神とされています。
そのすがたは一定の定まりが無く、花が盛られた器を持ったものなど様々な種類があります。



伊舎那天について


伊舎那天(いしゃなてん)とはサンスクリット語で「イシャーナ」という、風を神格化したインドの神が仏教にとりいれられたものです。
のちに大自在天、つまりシヴァ神の化身といわれ、シヴァ神と同一視されるようになりました。
その姿は三つ目で、右手に三叉戟(さんさげき - 先が三つにわかれたほこ)を、左手に杯を持ち、牛の上にのっています。


日時:2011年06月24日 11:03
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風天について


風天は古代インドの神が仏教に取り入れられたものです。
もとはサンスクリット語で「ヴァーユ(風)」という名の風を神格化した神で、長寿・福徳・子孫繁栄などの功徳があるとされていましたが、仏教にとりいれられてからは護法の神となりました。
仏教においてはその姿は風幡を持った老人のすがたであらわされ、くじかという鹿に似た動物の背に乗っています。


日時:2011年06月23日 10:45
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水天について


水天はヴァルナと呼ばれるヒンドゥー教の水の神が仏教にとりいれられたものです。
ヴァルナはヒンドゥー教においては水の神とされていますが、もとは古代インドの天空・月の神で、天上の法則を統率し過去や未来に渡り人間の行いをすべて知っているとされていました。
仏教にとりいれられた水天は剣と龍の形をした索(綱)を持ち、亀の上に乗っています。


日時:2011年06月22日 10:59
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火天(かてん)について


火天(かてん)とはインドのアグニという神が仏教にとりいれられたものです。
アグニとはサンスクリット語で火を意味する言葉で、その名の通りアグニは火を神格化した神です。
その姿はインドでは太った姿に造られますが、仏教にとりいれられたものは痩せて髭をのばした仙人のような姿で造られます。
火天后や仙人・天女を眷族とし、全身を火炎に包まれ、青羊または青牛に乗っています。



摩睺羅伽(まこらか)について


摩睺羅伽(まこらか)は、仏教を護る護法善神の一尊で、サンスクリット語のマホーラガという言葉を音写したものです。大腹胸行などとも漢訳されます。
もとは古代インド神話に登場する大蛇でしたが、仏教に取り込まれました。
音楽を奏でながら諸神に仕え供養するといわれています。



緊那羅(きんなら)について


緊那羅(きんなら)とは古代インド神話に登場する、半人半獣の神が仏教に取り込まれたものです。
サンスクリット語ではそのままキンナラといいます。
雪山(ヒマラヤ)に住み、音楽を奏でる神といわれ、仏教に取り込まれてからは性格はそのままに毘沙門天の眷属として存在しています。



迦楼羅について


迦楼羅(かるら)とは梵名のガルーダを音写した言葉で、古代インド神話における大鳥が仏教に取り込まれたものです。
その体は金色で鳳凰のように美しく、翼をひろげると336万里あったとされています。
口から火を吹き、毒蛇を食べるといわれ、そのことから煩悩(仏教では毒蛇に例えられる)を食らい尽くすありがたいかみとされています。
また密教では梵天が迦楼羅に姿を変え仏の教えを護り、人々を救うとされています。


日時:2011年06月18日 11:23
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阿修羅について


阿修羅とはインド神話において、常に帝釈天と戦う悪神であったものが仏教にとりいれられたものです。
その名は梵名「アスラ」を音写したものです。アスラという言葉は「天部にあらざるもの」という意味で悪鬼の総称でした。
しかし、釈迦の説法を聞き仏教を守護する善神となりました。


日時:2011年06月17日 11:08
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乾闥婆について


乾闥婆(けんだつば)はインド神話における蘇摩酒(ソーマ)の守護神であったものが仏教にとりいれられたもので、梵名のガンダルヴァを音写したものです。
帝釈天に仕え、地上に住み、ときどき天上に昇り音楽を奏でるとされています。
また香だけを食べて生きているといわれ、このことから食香・尋香行との呼び名もあります。


日時:2011年06月16日 10:48
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夜叉について


夜叉(やしゃ)は古代インド神話に登場する人を食べてしまう鬼神が仏教に取り入れられたものです。
梵名はヤクシャといい、薬叉・夜叉と音写され、羅刹(らせつ)とも呼ばれています。
釈迦の説法を聞いた後、仏教とその信者を護る善神となったとされています。
また毘沙門天(多聞天)の眷属であるといわれ、北方を守護している他、薬師の眷属として十二夜叉大将を構成したり、大般若経を守護する十六善神にもなっています。


日時:2011年06月15日 11:16
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龍(龍王)について


龍(龍王)はサンスクリット語ではナーガという本来は蛇・キングコブラの神であり、インド神話において信仰されていたものが、仏教に取り入れられました。
仏教においては、釈迦如来がこの世に誕生したときに龍が香湯をそそいだといわれています。
また法華経には釈迦の説法を八大竜王が聞きにきたとされています。
しかし中国や日本においては伝わるにつれ、土着の信仰と結びつき、その姿を変えていき仏教との関係もあまり意識されないようになっていきました。


日時:2011年06月14日 11:15
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閻魔について


閻魔(えんま)は古代インドの神話における天上の王であり、人類最初の死者といわれています。
サンスクリット語では「ヤマ」といい、「夜摩」とも音写されます。
時代がくだるとその住むところは地下に移り、冥界(死後の世界)を支配する王となりました。
後に仏教に取り入れられてからも地獄の帝王として君臨することになりました。
また閻魔は地蔵菩薩と深い関わりがあり、閻魔の裁きを地蔵菩薩が地獄と現世の境に立ち助けてくれるとされています。


日時:2011年06月13日 11:05
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吉祥天について


吉祥天はインドにおいて吉祥(この上のない吉)をつかさどる神として信仰されているラクシュミー(幸福・繁栄)という神が仏教に取り入れられたものです。
ヒンドゥー教においてはその最高神ヴィシュヌの妻といわれています。
密教では吉祥天は毘沙門天(多聞天)の妻とされ、毘沙門天の左脇侍としても造像されます。
また金光明最勝王経には吉祥天の名を称えれば、五穀豊穣となり、財宝を得て衣食全て事足りると説かれています。


日時:2011年06月06日 10:47
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帝釈天について


帝釈天はサンスクリット語でインドラといい、因陀羅(いんだら)と音写される仏神です。
仏教以前から信仰されていた神が仏教に取り入れられ仏教の守護神となりました。
帝釈天は須弥山の頂上にある忉利天(とうりてん)に善見城をかまえてそこに住み、四天王や侍者をつかい娑婆の悪事・不正を監視しているとされています。
また釈迦の成道(さとりをひらくこと)を助け、仏教を憎んでいた阿修羅と戦い、これを破り仏教に帰依させたといわれています。


日時:2011年06月05日 10:36
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梵天について


梵天はサンスクリット語でブラフマンといい、ヒンドゥー教の最高神ですが、仏教を護る神として仏教にとりいれられ、天部の中では帝釈天とともに最高の地位にあります。
故に帝釈天と一対になった像が多く見られます。
梵天は世界の中心にある須弥山(しゅみせん)のはるか上方に住み、仏教を保護するとされています。
また、釈迦が悟りを開いた後、その悟りを広め苦難にあえぐ人々を救うように説得したとされており、これを「梵天勧請」といいます。


日時:2011年06月04日 10:48
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広目天について


広目天(こうもくてん)は四天王の一尊にかぞえられ、須弥山(しゅみせん)の西方の守護神となる仏神です。
梵名を「ヴィルーパークシャ」といい、毘楼博叉(びるはくしゃ)・と音写され、広目・衆目と漢訳されます。
眷属として蛇竜(ナーガ)と富単那(ふたんな)を従えています。
インドでは貴族のすがたで造られていましたが、中国では武人のすがたで造られ、それが日本に伝わりました。
鎧を身につけ、持物として筆を持つ像形が多いようですが、それが決まった像形ではありません。


日時:2011年06月03日 10:37
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増長天について


増長天(ぞうちょうてん)は四天王の一尊にかぞえられ、須弥山(しゅみせん)の南方の守護神となる仏神です。
梵名を「ヴィルーダカ」といい、毘楼勒叉(びるろくしゃ)・毘嚕陀迦(びろだか)と音写され、増長と漢訳されます。
眷属として鳩槃荼(くはんだ)と薜茘多(へいれいた)を従えています。
インドでは貴族のすがたで造られていましたが、中国では武人のすがたで造られ、それが日本に伝わりました。
鎧を身につけ、持物として剣を持つ像形が多いようですが、それが決まった像形ではありません。


日時:2011年06月02日 11:16
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持国天について


持国天は四天王の一尊にかぞえられ、須弥山(しゅみせん)の東方の守護神となる仏神です。
梵名を「ドゥリタラーシュトラ(国を支える者)」といい、提頭頼咤(だいとらた)と音写され、持国・治国と漢訳されます。
眷属として乾闥婆(けんだつば)と畢舎遮(びしゃしゃ)を従えています。
インドでは貴族のすがたで造られていましたが、中国では武人のすがたで造られ、それが日本に伝わりました。
鎧を身につけ、持物として剣を持つ像形が多いようですが、それが決まった像形ではありません。


日時:2011年06月01日 10:38
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善跏椅座・半跏椅座


仏像の姿勢には立像(りゅうぞう)・坐像(ざぞう)・臥像(がぞう)の三種類があります。

前回に引き続き坐像の種類を紹介していきます。

倚像(いぞう)とは台の上に座った像のことで、善跏椅座(ぜんかふざ)と半跏椅座(はんかふざ)などの種類があります。
善跏椅座とは台に座り、両足を踏み下げてそろえたかたちです。
半跏椅座とは台に座り、右足をまげて左膝の上においたかたちです。
半跏椅座は菩薩像にのみみられるかたちで、広隆寺の弥勒菩薩の半跏思惟像が大変有名です。


日時:2011年05月30日 11:02
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半跏坐・輪王坐・蹲踞坐


仏像の姿勢には立像(りゅうぞう)・坐像(ざぞう)・臥像(がぞう)の三種類があります。

坐像には前回紹介した以外にも様々なかたちがあります。

半跏坐(はんかざ)・半跏趺座(はんかふざ) - 結跏趺坐のように両足を曲げてそれぞれの足の付け根につけるのではなく片足のみ曲げて、もう片方の足はのばした座り方です。

輪王坐(りんのうざ) - 如意輪観音にみられる、方膝をたてた座り方です。

蹲踞坐(そんきょざ) - 正座のようなかたちのお尻を地につけない座り方です。

 



結跏趺坐(けつかふざ)について


仏像の姿勢には立像(りゅうぞう)・坐像(ざぞう)・臥像(がぞう)の三種類があります。

坐像は座った姿の仏像で、様々な種類があります。
代表的なものは「結跏趺坐(けつかふざ)」というもので、これもさらに「降魔坐(ごうまざ)」と「吉祥坐(きっしょうざ)」の二種類にわけられます。
降魔坐とは右足を曲げて左足の太ももの付け根のところに置き、つぎに左足を曲げて右足の付け根のところに置いた座り方です。
吉祥坐とは降魔坐の左右を逆にした座り方です。



立像(りゅうぞう)について


仏像の姿勢には立像(りゅうぞう)・坐像(ざぞう)・臥像(がぞう)の三種類があります。

立像には両足をそろえて直立した「正立像」、片方の足を軸にして立ちもう片方の足をやや楽にかまえて少し腰をひねった「屈斜勢像」、歩いている姿をとらえた「経行像(きんひんぞう)」などがあります。
このほかにも少々前かがみの姿勢をした「侍立像」や金剛童子などにみられる右足を曲げ身をくねらせた「丁字立像」などもあります。



智拳印と法界定印について


密教における印で重要なものには智拳印(ちけんいん)と法界定印(ほっかいじょういん)があります。
智拳印とは、金剛界曼荼羅の大日如来の結ぶ特有の印です。
両手とも親指を中にいれ拳を握り、左手は人差し指を立て、その第一関節を右手の拳でにぎり、胸の前にもってきたものです。この印は大日如来の偉大な智慧を示すといわれています。
法界定印とは、胎臓界曼荼羅の大日如来の結ぶ印です。
かたちは釈迦の五印の定印と同じものですがこれをとくに法界定印と呼んでいます。



九品来迎印について


仏教では人間をその能力や素質、信仰の深さにより、九つの段階(九品 - まず上品・中品・下品に分け、さらにそれぞれ上生・中生・下生に分けます)に分けます。
そして阿弥陀如来は人の臨終に際し、極楽から迎えにくるときに、これから亡くなる人の段階を見極め、それにふさわしい印をあらわすとされています。
この九つの印の総称を「九品来迎印」といいます。
それぞれ、へその前で手を組むのが上生、胸の前に手をもってくるのが中生、右手を上にし左手が下になっているのが下生です。さらに親指と人差し指を合わせるのが上品、親指と中指を合わせるのが中品、親指と薬指を合わせるのが下品となります。
また、上生を定印、中生を説法印、下生を来迎印といいます。


日時:2011年05月25日 10:42
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降魔印(ごうまいん)について


お釈迦様がさとりをひらいたとき、悪魔がやって来てその邪魔をしました。そのときにお釈迦様は結んでいる定印をほどいて右手の人差し指を大地に触れると地の神が現れ、さとりを証明し悪魔を退散したといわれています。
このときの身振りをとらえたものが降魔印(ごうまいん)です。そのかたちから触地印(そくちいん)とも呼ばれています。
この印は釈迦如来のほかに金剛界曼荼羅における阿閦如来にもみられます。



定印(じょういん)について


定印(じょういん)とは、深い瞑想にはいり精神・肉体ともに安定している状態をあらわした印で、釈迦が菩提樹の下で悟りをひらいたときのすがたがもとになっています。
そのかたちは左手を下にして、両手をお腹の下で重ね合わし、両手の親指の頭をつけたかたちです。

定印にはすべて形は同じですが、禅定印、阿弥陀定印、法界定印(ほっかいじょういん)の三種類があります。
それぞれ、禅定印は座禅のときの組み方、阿弥陀定印は阿弥陀如来の印、法界定印は胎蔵界曼荼羅の中の大日如来の印です。



施無畏印と与願印について


施無畏印(せむいいん)とは無畏(おそれのない状態)を人々に施すことをあらわした印です。
仏の救済のときに人々を安心させる印です。
そのかたちは手を上に曲げ、五指をのばし、手のひらを外側に向けたかたちです。

与願印とは仏の慈悲をあらわした印で、人々の願いを聞きその望みを与えることをあらわしています。
そのかたちは手のひらを外側に向け、五指をのばした状態で手を下にのばした形です。

このふたつの印は仏像では組み合わされて使用されます。



説法印(釈迦の五印)について


釈迦の五印とは釈迦のある特定の行為に伴う身振りから誕生したもので、説法印、施無畏印(せむいいん)、定印、降魔印、与願印の五つです。

説法印とは釈迦が教えを説くときの身振りをあらわしたもんです。初転法輪(釈迦の最初の説法)の姿をあらわしているので転法輪印との名もあります。
そのかたちは胸の前に両手を上げ、親指と小指以外の指で輪を作り、てのひらを上にあげたかたちです。
しかし釈迦も様々な身振りを使い説法を補ったので、そのかたちは必ずしも一定ではありません。



印(印契・印相)について


印とは仏像の手の組み方や形のことで、印という呼び名以外にも印契(いんげい)、印相(いんぞう)とも呼ばれます。
印はサンスクリット語でムドラーといわれ、「身振り」を意味し、もともと釈迦がなにかを行うときの身振りから生まれました。
しかし密教がおこると印の持つ意味もかわり、形式も厳しく規定されるようになりました。
密教では印をただの「しるし」と捉えず、内証(さとり)や誓願(ねがい)、功徳の表現と理解します。
つまり印を教理そのものをあらわすものと考えます。



菩薩のまとうものについて


菩薩の仏像は下半身を覆う布と、両肩を覆う天衣(てんね)とをまとっています。
また、菩薩像は如来像と違い釈迦の出家前のすがたをもとにしていますので、さまざまな装身具を身につけており、宝冠や首にかける瓔珞(ネックレス)、耳環、腕環、足環などを身につけています。
とくに宝冠はさまざまな種類があり、仏像の種類によっても異なってきます。



三衣(さんね)について


仏像は三衣(さんね)と呼ばれる衣をまとっています。
三衣とはその名の通り、三枚の衣で、それぞれの布をを下半身、胸まで、肩にかけます。
肩にかける大きな布の着方には通肩(つうけん)と偏袒右肩(へんだんうけん)の二種類があります。
通肩とは両肩を衣で覆う着方、偏袒右肩は左肩だけを衣で覆う着方です。
偏袒右肩は師や釈迦、目上の人に対して敬意を表すときの着方とされています。
ですので、釈迦より偉い人はおらず、通常釈迦如来像は通肩に作られます。



羂索(けんさく)について


羂索(けんさく)とはもともとインドの武器である、縄上の密教法具です。
煩悩を縛るとして重要な武器とされています。
持物としては不動明王・千手観音・不空羂索観音などが持ち、とくに不空羂索観音が最も優れた羂索を手にしています。



持物としての金剛杵について


金剛杵とはサンスクリット語でヴァジュラ・ヴァジラという古代インドの武器であり、密教やチベット仏教の法具のひとつです。
堅くあらゆるものを打ち砕くことから金剛(ダイヤモンド)の名を持ちます。
密教においてはとても重要な法具であり、煩悩を打ち砕くことをあらわします。
形には様々なものがあり、独鈷杵(両端が一本のもの)、三鈷杵(三又のもの)、五鈷杵(五つの又になったもの)などがあります。
仏像の持物としては不動明王をはじめとする明王が持つ持物です。



水瓶(すいびょう)について


水瓶(すいびょう)とはインドにおいて、もともと、僧侶が常に持ち歩く18種の持物のひとつで、水を入れる水筒のようなものでした。
仏像においては、千手観音や梵天が持物として持っています。
またサンスクリット語ではグンディといわれ、軍持(ぐんじ)とも呼ばれます。



法輪について


法輪とは釈迦の教えを象徴するものです。
もとは古代インドの円盤の形の武器を仏教の教えにたとえたもので、その武器が縦横無尽に転げまわり、敵を圧倒するように仏教の教えが理性の力によりあらゆるものを征服することを表しています。
故に仏教において教えを伝えることを転法輪というようになりました。


日時:2011年05月14日 10:47
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如意宝珠(持物)について


如意宝珠とはサンスクリット語でチンターマニ(思考・珠)といい、仏教において様々な霊験を表す宝の珠とされ、欲するものを自由自在に出し、苦しみを取り除くとされるありがたい珠です。
持物としては如意輪観音や地蔵菩薩、虚空蔵菩薩などが持つとされています。



錫杖について


錫杖とは先端に大きな輪のついた杖のことで、その大きな輪にはいくつかの小さな輪がついています。
錫杖は僧が危険や煩悩を振り払い、身を守るために使われ、またその音は乞食(食べ物のお布施を受けること)に来たことを告げる合図にもなります。
持物としての錫杖は地蔵菩薩のもつ持物としてよく知られています。


日時:2011年05月12日 10:53
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蓮華(持物)について


蓮華(蓮の花)は仏教の象徴的な存在の花です。
それは泥の中に生じ、泥に染まらない故、汚れることのない仏教の真理に例えられるからです。
持物としての蓮華は色や、満開(開敷)、半開、蕾(未敷)など咲き方によっても分けられます。
蓮華は菩薩、とくに観世音菩薩(聖観音)の持物とされています。



仏像の持物について


仏像が手にしている、様々な持ち物のことを持物(じもつ)といいます。
花や武器、薬壺、水瓶といったものが代表的な持物です。
持物はその仏・菩薩の性質を表すとともに、その仏像を見分けるための大きな手がかりとなります。
如来は通常、持物を持ちませんが、薬師如来は例外で薬壺を持っています。
菩薩は蓮華、水瓶、数珠、如意、宝珠などを持つものが多いようです。
明王は金剛杵、剣など多くは武器を手にしています。
天部は弁財天の楽器などさまざまなものを手にしています。 


日時:2011年05月10日 11:11
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頭光について


頭光には宝珠光、円光、輪光、筋光などの種類があります。
宝珠光とは如意宝珠をかたどったもので、上端が尖り桃の実のような形をしているものです。
円光とは円形の板の光背です。
輪光とは円形の輪の形をした光背です。
筋光とは円光などから発せられる光を放射状に表したものです。その形から傘御光とも呼ばれています。


日時:2011年05月09日 10:55
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拳身光について


拳身光とは立像、坐像の別なく仏像の全身を覆う光背のことです。
その多くは一枚の蓮華の花弁の形をかたどっており、蓮弁型拳身光と呼ばれます。
拳身光は船型光背、船御光とも呼ばれますが、仏教とかかわりの深い蓮華にちなみ蓮弁型光背といわれるのが最もふさわしいようです。
拳身光のヴァリエーションとして飛天光(飛翔する天女をあしらったもの)、千仏光(小仏を一面にあしらったもの)、不動明王などに多くみられる火焔光(燃え盛る炎を光背にしたもの)などがあります。


日時:2011年05月08日 10:45
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光背の種類について


仏像の光背には大きく分けて、拳身光(きょしんこう)と頭光(とうこう)の二つに分類されます。
またそれぞれをふたつ重ねたものもあります。この形の場合頭光を除いた身体の部分を身光と呼びます。
しかし身光だけを光背として持つ仏像はありません。


日時:2011年05月07日 10:38
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仏像の光背について


仏の身からでる光は仏の三十二相のひとつであり、丈光相といわれます。
この光を仏像の背景にあらわしたものを光背といいます。
初期の仏像では頭の後ろに円形を置いただけの簡素なものでしたが、時代がくだるに従い、いろいろな装飾が施されるなど、様々な形のものが作られるようになりました。


日時:2011年05月06日 11:07
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須弥座・鳥獣座


仏教世界の中心にある須弥山をかたどった台座を須弥座といいます。
仏壇一般を須弥檀というように、台座一般をさして須弥座という呼び名でもあります。

鳥獣座とは鳥や動物をかたどった台座で、密教の像に多くみられます。
普賢菩薩の像、文殊菩薩の獅子、孔雀明王の孔雀などがこの鳥獣座にあたります。


日時:2011年05月05日 10:50
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雲座・宣字座


雲座とは雲がたなびく様子を表した台座で、雲の上に蓮華がのっています。
阿弥陀来迎図によくみられるもので、雲の上を飛んで迎えにやってくる情景を表しています。

宣字座とは鬼子母神などがのる台座のことで、正面から見る見た目が漢字の宣の字に似ていることからその名が名づけられました。宣字座は古代インドの王座を模したものといわれています。


日時:2011年05月04日 10:35
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岩座・瑟瑟座・洲浜座


不動明王や多くの天部の仏像はごつごつとした岩の形をかたどった、岩座に乗ります。
この岩座を何本かの木を組み合わせ岩の形をかたどり形式化したものに瑟瑟座(しつしつざ)というものがあります。
またその他に波打ち際の岩を表した、洲浜座(すはまざ)などの台座があります。



蓮華座について


仏像の座る台座には、蓮華座が最も多く見られます。
蓮華座の基本的な形は奈良東大寺の大仏のものとされており、大仏座と呼ばれています。
形としては蓮の花弁が三重、五重、七重のものなど様々な種類があります。
また明王などが踏む、両足に別々の蓮華座を踏む踏み割り蓮華座というものや、蓮の葉が台座となる荷葉座というものもあります。


日時:2011年05月02日 16:41
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金剛座と獅子座


お釈迦様はインドのブッタガヤというところでさとりを開きました。そのさとりをひらいた菩提樹の下には今日でも四角い形の台座が残されています。
このさとりをひらいた場所のことを金剛座、金剛宝座といいます。
この言葉は具体的に台座の形をさすものではなくお釈迦様の座った場所を意味するものです。
また、お釈迦様は百獣の王獅子に例えられることから、その座った場所を獅子座ともいいます。


日時:2011年05月01日 16:34
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韋駄天(いだてん) 5.0号 柘植


仏像

天軍のなかで足が最も速く、魔の退治に優れていたとされる。
韋駄天(いだてん)の柘植製の仏像です。

韋駄天(いだてん) 5.0号 柘植



白衣観音像 高さ 18.2cm 巾8.5cm 牧田秀雲作 合金製純金メッキ


仏像

百衣とは在家、俗人の着る衣のことを示している。
白衣観音の合金製純金メッキの仏像です。

白衣観音像 高さ 18.2cm 巾8.5cm 牧田秀雲作 合金製純金メッキ



跋陀波羅菩薩(ばったばらぼさつ) 6.0号 柘植


仏像

浴室で悟りをひらいたといわれ、浴室に祀られる。
跋陀波羅菩薩(ばったばらぼさつ)の柘植製の仏像です。

跋陀波羅菩薩(ばったばらぼさつ) 6.0号 柘植



馬頭観音像 高さ 33.5cm 巾17.5cm 高野玉仙作 蝋型青銅製


仏像

サンスクリット語ではハヤグリーヴァ(馬の頭を持つもの)の名である。
馬頭観音の蝋型青銅製の仏像です。

馬頭観音像 高さ 33.5cm 巾17.5cm 高野玉仙作 蝋型青銅製


弥勒菩薩像 高さ 15cm 牧田秀雲作 十三体仏 合金製純金メッキ


仏像

その名前マイトレーヤは友情・慈をあらわすミトラという言葉に由来する。
弥勒菩薩の合金製純金メッキの仏像です。

弥勒菩薩像 高さ 15cm 牧田秀雲作 十三体仏 合金製純金メッキ



総ツゲ 八角台 十一面観音 櫛光背 3.5号


仏像

ヒンドゥー教のシヴァ神が仏教にとりいれられたものといわれる。
十一面観音菩薩の総ツゲ製の仏像です。

総ツゲ 八角台 十一面観音 櫛光背 3.5号



楠木地彫 八角台座 東立弥陀 4.0号 金泥書


仏像

来迎印は慰安印とも呼ばれ、ひとびとの心を慰め、安心させることを表している。
阿弥陀如来の楠木地彫の仏像です。

楠木地彫 八角台座 東立弥陀 4.0号 金泥書



木製 純金並京 西立弥陀 肌粉 4.0号


仏像

説法印を結ぶものは法隆寺金堂の壁画に代表されるように、天平時代のものが多い。
阿弥陀如来の木製・純金並京の仏像です。

木製 純金並京 西立弥陀 肌粉 4.0号



総白壇 六角ケマン付 舟立弥陀 金泥付 4.0号 唐草御光


仏像

施無畏・与願印を結ぶものでは法隆寺の橘夫人念持仏が有名である。
阿弥陀如来の総白壇の仏像です。

総白壇 六角ケマン付 舟立弥陀 金泥付 4.0号 唐草御光



阿閦如来像 高さ 78cm 巾53cm 青銅製


仏像

阿閦とはサンスクリット語で「アクショーブヤ(ゆり動かされない)」の意味である。
阿閦如来の青銅製の仏像です。

阿閦如来像 高さ 78cm 巾53cm 青銅製



総白木 六角台座 大日如来 円御光 2.0号 金泥なし


仏像

胎蔵界大日如来は法界定印(深い慈悲の心を表す)を結ぶ。
大日如来の総白木の仏像です。

総白木 六角台座 大日如来 円御光 2.0号 金泥なし



総香木上彫 六角台座ケマン付 座弥陀 金泥書 2.0号 唐草御光


仏像

奈良東大寺の五却思惟像が修行時代の像として有名である。
阿弥陀如来の総香木上彫の仏像です。

総香木上彫 六角台座ケマン付 座弥陀 金泥書 2.0号 唐草御光



釈迦如来像 高さ 71cm 巾53cm 青銅製


仏像

禅宗においては定印を結んだ像が多くつくられる。
釈迦如来の青銅製の仏像です。

釈迦如来像 高さ 71cm 巾53cm 青銅製



三尺薬師如来像 高さ 53cm 山本山雲作 青銅製


仏像

豊穣の神であり、安産・子育ての神としても知られる。
鬼子母神の楠木地彫の仏像です。

三尺薬師如来像 高さ 53cm 山本山雲作 青銅製



楠木地彫 子安鬼子母神 金泥書 3.0号


仏像

豊穣の神であり、安産・子育ての神としても知られる。
鬼子母神の楠木地彫の仏像です。

楠木地彫 子安鬼子母神 金泥書 3.0号



弁財天 高さ 6.2cm 純金メッキ


仏像

湖や池、沼等の魔物を鎮めるとして、各地の水辺に弁天堂が造られた。
弁財天の純金メッキ製の仏像です。

弁財天 高さ 6.2cm 純金メッキ



毘沙門天 高さ8.7cm 純金メッキ


仏像

吉祥天はその妻または妹とされ、眷属として配されることもある。
毘沙門天の純金メッキ製の仏像です。

毘沙門天 高さ8.7cm 純金メッキ



七福神 寿老人 高さ2.6cm 純銀製 舟谷喜雲作


仏像

長寿の象徴である鹿を従え、手には桃を持つ。
寿老人の純銀製の仏像です。

七福神 寿老人 高さ2.6cm 純銀製 舟谷喜雲作



総ツゲ 六角ケマン付 座弥陀 切金淡彩色 2.0号 天人御光


仏像

来迎印を結んだ像は来迎の阿弥陀のみにみられる特徴的な印である。
阿弥陀如来の総ツゲ製の仏像(座弥陀)です。

総ツゲ 六角ケマン付 座弥陀 切金淡彩色 2.0号 天人御光



総白壇 六角台座 西立弥陀 4.0号 唐草御光


仏像

浄土宗・浄土真宗においては、阿弥陀如来のみを本尊とする。
阿弥陀如来の総白壇製の仏像です。

総白壇 六角台座 西立弥陀 4.0号 唐草御光



七福神 布袋 高さ2.6cm 純銀製 舟谷喜雲作


仏像

元々の名は釈契此(しゃくかいし)であるがその常に袋を背負った姿から布袋といわれた。
布袋の純銀製の仏像です。

七福神 布袋 高さ2.6cm 純銀製 舟谷喜雲作



純金メッキ 恵比寿天 8.3cm


仏像

古来より日本においては財運・商売繁盛をもたらすとされ信仰をあつめる。
恵比寿天の純金メッキ製の仏像です。

純金メッキ 恵比寿天 8.3cm



楠木地彫 大黒天 箱台付 金泥書 1.8号


仏像

日本においては平安時代に伝教大師最澄(天台宗の開祖)が伝えたとされている。
大黒天の楠木地彫の仏像です。

楠木地彫 大黒天 箱台付 金泥書 1.8号



総白壇 六角台座 東立弥陀 4.0号 櫛御光


仏像

脇侍として観音菩薩と勢至菩薩をしたがえる。
阿弥陀如来の総白壇製の仏像(東立弥陀)です。

総白壇 六角台座 東立弥陀 4.0号 櫛御光



総白壇 八角台座 大日如来 金泥付 2.0号 天人御光


仏像

金剛界大日如来は智拳印(智慧がなにものにもまして固いことをしめす)を結ぶ。
大日如来の総白壇製の仏像です。

総白壇 八角台座 大日如来 金泥付 2.0号 天人御光



総香木 常済・承陽 (二躰一組) 1.8号 金泥書


仏像

常済大師(瑩山禅師)と承陽大師(道元禅師)の二躰一組・総香木製の仏像です。
承陽大師を高祖、瑩山禅師を太祖と曹洞宗ではあがめます。

総香木 常済・承陽 (二躰一組) 1.8号 金泥書



総ツゲ上彫 六角ケマン付 大日如来 金泥書 2.0号 火炎御光


仏像

この如来だけは、宝冠をかぶり、様々な装飾品を身に付けた菩薩の姿をしている。
大日如来の総ツゲ製の仏像です。

総ツゲ上彫 六角ケマン付 大日如来 金泥書 2.0号 火炎御光



総ツゲ 八角台座 大日如来 2.0号 飛天御光


仏像

その起源は古代ペルシアの太陽神アフラ・マズダーと関係があるとされている。
大日如来の総ツゲ製の仏像です。

総ツゲ 八角台座 大日如来 2.0号 飛天御光



総白壇 六角台座 舟立弥陀 4.0号 唐草御光


仏像

「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」を典拠に、中国では曇鸞・道綽・善導らによって信仰が広められた。
阿弥陀如来の総白壇製の仏像です(舟立弥陀)。

総白壇 六角台座 舟立弥陀 4.0号 唐草御光



総ツゲ 八角台座 座釈迦 切金淡彩色 2.0号 天人御光


仏像

悟りをひらいた後、ベナレス近郊の鹿野苑で初めて説法をした(初転法輪)。
釈迦如来の総ツゲ製の仏像です(座釈迦)。

総ツゲ 八角台座 座釈迦 切金淡彩色 2.0号 天人御光



総ツゲ上彫 六角台座 東立弥陀 仏淡彩色 4.0号 櫛御光


仏像

五劫というとてつもない長い間の修行を経て悟りをひらく。
阿弥陀如来の総ツゲ製の仏像(東立弥陀)です。

総ツゲ上彫 六角台座 東立弥陀 仏淡彩色 4.0号 櫛御光



総白壇 六角ケマン付 大日如来 金泥付 2.0号 円御光


仏像

多宝塔の中に大日如来を中心とする四体の如来を四方に安置することがある(五仏如来)。
大日如来の総白壇の仏像です。

総白壇 六角ケマン付 大日如来 金泥付 2.0号 円御光



千手観音菩薩 2.6cm 純銀製 舟谷喜雲作


仏像

その名を唱えただけで、一切の願いがかなえられ、悟りの境地に達することができるといわれている。
千手観音菩薩の純銀製・ミニ仏像です。
舟谷喜雲作。

千手観音菩薩 2.6cm 純銀製 舟谷喜雲作



勢至菩薩 2.6cm 純金製 舟谷喜雲作


仏像

薬師如来本願功徳経においては、八大菩薩の一尊に数えられる。
勢至菩薩の純金製・ミニ仏像です。
舟谷喜雲作。

勢至菩薩 2.6cm 純金製 舟谷喜雲作



木製彩色 弘法大師 1.5号


仏像

留学僧として唐に渡り、密教を学び、帰国後真言宗の開祖となる。
弘法大師(空海)の木製彩色の仏像です。

木製彩色 弘法大師 1.5号



木製 純金並京 東立弥陀 肌粉 4.0号


仏像

平安時代以降、浄土宗・浄土真宗が盛んになり、「阿弥陀来迎図(臨終に際し、死者を迎えに来るところを描いた図)」が流行した。
阿弥陀如来の木製・純金並京の仏像(東立弥陀)です。

木製 純金並京 東立弥陀 肌粉 4.0号



総白木 六角台座 座釈迦 唐草御光 2.0号 金泥なし


仏像

悟りを開いた後、梵天をはじめとする神々から、その悟りを広め苦難にあえぐ人々を救うように説得される(梵天勧請)。
釈迦如来の総白木製の仏像です(座釈迦)。

総白木 六角台座 座釈迦 唐草御光 2.0号 金泥なし



楠木地彫 立釈迦 4.0号 金泥書


仏像

日本においては12月8日に悟りを開いた日の記念として成道会の法要が営まれる。
釈迦如来の楠木地彫の仏像です(立釈迦)。

楠木地彫 立釈迦 4.0号 金泥書



総ツゲ 東立弥陀 六角台座 3.5号 櫛御光


仏像

「大無量寿経」というお経(原題は『スカーヴァティーヴューハ』)にその経歴が詳述されている。
阿弥陀如来の総ツゲ製の仏像です(東立弥陀)。

総ツゲ 東立弥陀 六角台座 3.5号 櫛御光



総ツゲ 大日如来 六角台座 2.0号 円御光


仏像

他の如来と異なり宝冠をかぶり、様々な装飾品を身につけた御姿をされている。
大日如来の総ツゲ製の仏像です。

総ツゲ 大日如来 六角台座 2.0号 円御光



総香木 六角台座 大日如来 金泥書 2.0号 円御光


仏像

密教の経典はすべて摩訶毘盧遮那仏(大日如来)が説いたとされている。
大日如来の総香木の仏像です。

総香木 六角台座 大日如来 金泥書 2.0号 円御光



銀製 梵字指輪 アン(辰・巳) サンスクリットリング


梵字指輪

サンスクリット語での名「サマンタバドラ」はめでたいこと(バドラ)が四方八方に広がる(サマンタ)という意味である。
辰/巳年生まれの守護本尊・普賢菩薩の守護梵字「アン」の梵字指輪です。

銀製 梵字指輪 アン(辰・巳) サンスクリットリング



大日如来 2.6cm 純金製 舟谷喜雲作


仏像

胎蔵界大日如来とは大日如来を無限の慈悲の面からとらえたもので、宇宙の全てが胎内のような大日如来に包まれている、つまり大日如来を万物の根源としている。
大日如来の2.6cm・ミニ純金仏像です。
舟谷喜雲作。

大日如来 2.6cm 純金製 舟谷喜雲作



木製 純金並京 座弥陀 肌粉 2.0号


仏像

臨終のとき、二十五菩薩を従え、雲に乗り往生者を迎えにやって来る。
阿弥陀如来の木製・純金並京、肌金粉仕上げの座弥陀像です。

木製 純金並京 座弥陀 肌粉 2.0号



純金中七 座弥陀 肌粉 1.8号


仏像

密教において、五智如来の一角を占める。
阿弥陀如来の純金箔押、肌金粉仕上げの座弥陀像です。

純金中七 座弥陀 肌粉 1.8号



総白木 六角ケマン付 大日如来 円御光 2.0号 金泥書


仏像

金剛界大日如来とは大日如来を智慧の面からとらえたもので、万物はその揺るがぬ智慧によりつくりだされたものと考えられる。
大日如来の総白木製の仏像です。

総白木 六角ケマン付 大日如来 円御光 2.0号 金泥書



楠木地彫 六角台座 東立弥陀 3.0号 金泥書


仏像

「悪人こそが阿弥陀仏の救済の対象である」(悪人正機)。
阿弥陀如来の楠木地彫・東立弥陀の仏像です。

楠木地彫 六角台座 東立弥陀 3.0号 金泥書



総ツゲ 東立弥陀 丸台座 3.0号 櫛御光


仏像

九品往生(能力や信仰の深さにより九つのそれぞれにふさわしい往生があるという考え)に基づき九つの姿があてがわれた。
阿弥陀如来の総ツゲ製・東立弥陀(ひがしたちみだ)の仏像です。

総ツゲ 東立弥陀 丸台座 3.0号 櫛御光



総香木 六角台座 西立弥陀 金泥書 4.0号 唐草御光


仏像

「四十八願」のうち第二十願を「三生果遂の願(三回生死を繰り返すうちに必ず救ってくれる)」と法然上人はした。
阿弥陀如来の総香木製・西立弥陀(にしたちみだ)の仏像です。

総香木 六角台座 西立弥陀 金泥書 4.0号 唐草御光



写仏セット 不動明王


仏像

左右の眼は天と地、両方を見ているとされる(天地眼)。
不動明王の写仏セットです。

写仏セット 不動明王


日時:2011年03月07日 11:28
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弥勒菩薩 木製ケース入 合金製煮色


仏像

仏滅後、兜率天(仏教の世界の中心にある須弥山のはるか上方に存在する神々の世界)にて教えを説いているといわれている。
弥勒菩薩の合金製・煮色仕上げの仏像です。
木製ケース入。

弥勒菩薩 木製ケース入 合金製煮色



普賢菩薩像 高さ 65cm 巾29cm 青銅製彩色


仏像

智慧をつかさどる文殊菩薩に対し、行(修行)をつかさどる。
普賢菩薩の青銅製彩色の仏像です。

普賢菩薩像 高さ 65cm 巾29cm 青銅製彩色



純金製釈迦如来 総丈14cm/身丈4.8cm/重量650g 舟谷喜雲作


仏像

紀元前六世紀、現在のネパールで生まれ、仏教の開祖となった実在の人物である。
釈迦如来の純金製の仏像です。
舟谷喜雲作。

純金製釈迦如来 総丈14cm/身丈4.8cm/重量650g 舟谷喜雲作



総白壇 六角ケマン付鬼面台座 舟立弥陀 金泥書 4.0号 唐草御光


仏像

「四十八願」のうち第十九願を「臨終現前の願(臨終の時にかならず現れる)」と法然上人はした。
阿弥陀如来の総白壇製・舟立弥陀(ふなたちみだ)の仏像です。

総白壇 六角ケマン付鬼面台座 舟立弥陀 金泥書 4.0号 唐草御光



総白壇 六角ケマン付鬼面台座 座弥陀 金泥書 2.0号 唐草御光


仏像

「四十八願」のうち第十八願を「念仏往生の願(念仏を唱えれば誰もが往生できる)」と法然上人はした。
阿弥陀如来の総白壇製の座像です。

総白壇 六角ケマン付鬼面台座 座弥陀 金泥書 2.0号 唐草御光



弥勒菩薩 2.5号 柘植


仏像

将来、仏(如来)となることを約束されていることより、未来仏・当来仏ともいわれる。
弥勒菩薩の柘植製の仏像です。

弥勒菩薩 2.5号 柘植


日時:2011年03月01日 11:10
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釈迦定印 高さ24cm FRP製 青銅色


仏像

禅定印(法界定印)を結ぶ、釈迦如来のFRP製・青銅色の仏像です。
禅定印はお釈迦様が菩提樹のもとで悟りをひらいたときの姿に由来したものです。

釈迦定印 高さ24cm FRP製 青銅色



不動明王厨子入 厨子高 9.7cm 渡辺景秋作 合金製純金メッキ


仏像

仏教に帰依するものの従者となり、悟りに至らせる。
不動明王の厨子入、合金製純金メッキの仏像です。
渡辺景秋作。

不動明王厨子入 厨子高 9.7cm 渡辺景秋作 合金製純金メッキ



三尺阿弥陀如来像 御東用 高さ 87cm 巾51cm 山本山雲作 青銅製


仏像

過去世において、世自在王仏のもとで修行し仏となる。
阿弥陀如来(東立弥陀)の青銅製の仏像です。
山本山雲作。

三尺阿弥陀如来像 御東用 高さ 87cm 巾51cm 山本山雲作 青銅製



子安地蔵菩薩 高さ 26cm 牧田秀雲作 合金製純金メッキ


仏像

日本独自の信仰で、賽の河原で責められる子供を守るとされる。
子安地蔵菩薩の合金製純金メッキの仏像です。
牧田秀雲作。

子安地蔵菩薩 高さ 26cm 牧田秀雲作 合金製純金メッキ



純金製聖観音 総丈22cm/身丈11.7cm/重量1000g 松久宗琳作


仏像

薬師如来や阿弥陀如来と同様に現世利益の仏といわれる。
聖観音の純金製の仏像です。
松久宗琳作。

純金製聖観音 総丈22cm/身丈11.7cm/重量1000g 松久宗琳作



純金製薬師如来 総丈16.3cm/身丈8.7cm/重量650g 舟谷喜雲作


仏像

左手に薬壺(やっこ)を持つその姿は、深い慈愛に満ちている。
薬師如来の純金製の仏像です。
舟谷喜雲作。

純金製薬師如来 総丈16.3cm/身丈8.7cm/重量650g 舟谷喜雲作



純金製阿弥陀如来 西 総丈13cm/身丈6.6cm/重量400g 舟谷喜雲作


仏像

四十八の願(誓い)をかけ、これを成し仏になることを誓った。
阿弥陀如来(西立弥陀)の純金製の仏像です。
舟谷喜雲作。

純金製阿弥陀如来 西 舟谷喜雲作



慈母観音像 高さ 22.5cm 巾7.4cm 長田晴山作 青銅製


仏像

中国の俗習から生まれ、子安観音との名も持つ。
慈母観音の青銅製の仏像です。
長田晴山作。

慈母観音像 高さ 22.5cm 巾7.4cm 長田晴山作 青銅製



総ツゲ 三宝尊 0.8号


仏像

仏・法・僧の三宝をまつる仏像であり、法華宗・日蓮宗の御本尊。
総ツゲ製の三宝尊です。

総ツゲ 三宝尊 0.8号


日時:2011年02月20日 11:01
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聖観音菩薩 2.6cm 純銀製 舟谷喜雲作


仏像

単独でもまつられるが、勢至菩薩とともに阿弥陀如来の脇侍としても登場する。
聖観音菩薩の2.6cm・純銀製の仏像です。
舟谷喜雲作。

聖観音菩薩 2.6cm 純銀製 舟谷喜雲作



不動明王 2.6cm 純金製 舟谷喜雲作


仏像

日本では「お不動さん」として、疫病退散の仏としての信仰をあつめる。
不動明王の2.6cm・純金製の仏像です。
舟谷喜雲作。

不動明王 2.6cm 純金製 舟谷喜雲作



阿弥陀如来 2.6cm 純銀製 舟谷喜雲作


仏像

日本では平安時代以降、浄土教が盛んになり、篤く信仰されるようになる。
阿弥陀如来の2.6cm・純銀製の仏像です。
舟谷喜雲作。

阿弥陀如来 2.6cm 純銀製 舟谷喜雲作



七福神 布袋 純金製 舟谷喜雲作


仏像

日本においては福の神として信仰を集め、七福神に組み入れられる。
布袋の純金製の仏像です。
舟谷喜雲作。

七福神 布袋 純金製 舟谷喜雲作


木製彩色 常済・承陽 1.5号 二躰一組


仏像

承陽大師(道元禅師)と常済大師(瑩山禅師)の二躰一組・木製彩色の仏像です。
曹洞宗では承陽大師を宗派の父、瑩山禅師を母とたとえるようです。

木製彩色 常済・承陽 1.5号 二躰一組


総ツゲ 達磨・大権 淡彩色 2.0号 二躰一組


仏像

曹洞宗で祀られる、達磨大師・大権修理菩薩の二躰一組の仏像です。
総ツゲ製、淡彩色です。

総ツゲ 達磨・大権 淡彩色 2.0号 二躰一組


木製彩色 座両大師 2.0号 二躰一組


仏像

中国浄土宗の高僧、善導大師と日本の浄土宗の開祖、法然上人の木製彩色・座両大師像です。
法然上人は後に円光大師の謚号を賜わりました。

木製彩色 座両大師 2.0号 二躰一組


親鸞聖人像 高さ 20cm 合金製青銅色


仏像

六角堂に篭っていたときに、聖徳太子の夢のお告げにより、法然の弟子になることを決意したといわれる。
浄土真宗の開祖・親鸞聖人の合金製青銅色の仏像です。

親鸞聖人像 高さ 20cm 合金製青銅色


総ツゲ 日蓮 2.0号 切金淡彩色


仏像

「法華経」こそが最高の真理とし、鎌倉にて辻説法を行う。
日蓮宗の開祖・日蓮聖人の総ツゲの仏像です。

総ツゲ 日蓮 2.0号 切金淡彩色


総白木 弘法大師 1.8号 金泥ナシ


仏像

「弘法も筆の誤り」という諺があるように、優れた書家でもあり、嵯峨天皇、橘逸勢とともに三筆のひとりに数えられた。
弘法大師の総白木の仏像です。

総白木 弘法大師 1.8号 金泥ナシ


観世音菩薩 合金製純金メッキ 牧田秀雲作


仏像

サンスクリット語ではアヴァローキテーシュヴァラの名であり、「救いを求める人々をよく観察して、意のままに救う」という意味である。
観世音菩薩の合金製純金メッキの仏像です。
牧田秀雲作。

観世音菩薩 合金製純金メッキ 牧田秀雲作


地蔵菩薩 牧田秀雲作 合金製純金メッキ


仏像

サンスクリット語では、クシティ(大地)・ガルバ(胎蔵)という。
地蔵菩薩の合金製純金メッキの仏像です。
牧田秀雲作。

地蔵菩薩 牧田秀雲作 合金製純金メッキ


千手観音像 高さ 15.5cm 牧田秀雲作 合金製純金メッキ


仏像

「千」とは「無限」を意味し、救済の能力と手段を無限に持つことを意味する。
千手観音の合金製純金メッキの仏像です。
牧田秀雲作。

千手観音像 高さ 15.5cm 牧田秀雲作 合金製純金メッキ


文殊菩薩 厨子入 渡辺景秋作 合金製純金メッキ


仏像

平成23年度・卯年生まれのご本尊。
文殊菩薩の厨子入、合金製純金メッキの仏像です。
渡辺景秋作。

文殊菩薩 厨子入 渡辺景秋作 合金製純金メッキ


阿弥陀如来像 牧田秀雲作 合金製純金メッキ


仏像

多くの異名をもつが、アミターユス(無量寿如来)と
アミターバ(無量光如来)が代表的である。
阿弥陀如来の合金製純金メッキの仏像です。
牧田秀雲作。

阿弥陀如来像 牧田秀雲作 合金製純金メッキ


不動明王 牧田秀雲作 合金製純金メッキ


仏像

その梵名「アチャラ」はシヴァ神の別名に当たり
起源はシヴァ神に由来するといわれる。
不動明王の合金製純金メッキの仏像です。
牧田秀雲作。

不動明王 牧田秀雲作 合金製純金メッキ


大日如来 牧田秀雲作 合金製純金メッキ


仏像

密教ではすべての如来や菩薩、明王も大日如来の化身とされる。
未・申年生まれのご本尊。
大日如来の合金製純金メッキの仏像です。
牧田秀雲作。

大日如来 牧田秀雲作 合金製純金メッキ


勢至菩薩銀製ペンダント 午


仏像

午年生まれのご本尊。 観音菩薩と共に阿弥陀如来の脇侍となる。
三木貞夫作、勢至菩薩の仏像ペンダントです。
純金製もございますので、お問い合わせください。

勢至菩薩銀製ペンダント 午


普賢菩薩 牧田秀雲作 合金製純金メッキ


仏像

サンスクリット語ではサマンタ(あまねく全てに行き渡る)・バドラ(賢い)の名である。
辰・巳年生まれのご本尊。普賢菩薩の合金製純金メッキの仏像です。
牧田秀雲作。

普賢菩薩 牧田秀雲作 合金製純金メッキ


ペット地蔵あけぼの 合金製純金メッキ


仏像

大切な家族の一員、ペットの供養のための地蔵像です。
お地蔵様の足元に猫・兎・犬がおります。

ペット地蔵あけぼの 合金製純金メッキ


大日如来 厨子入 厨子高 9.7cm 渡辺景秋作 合金製純金メッキ


仏像

梵名はマハー(大きい)・ヴァイローチャナ(輝く・照らす)
密教ではすべての如来や菩薩の根本仏であり、最高の仏とされる。
大日如来の厨子入、合金製純金メッキの仏像です。
渡辺景秋作。

大日如来 厨子入 厨子高 9.7cm 渡辺景秋作 合金製純金メッキ


釈迦誕生仏 山本山雲作 青銅製


仏像

日本では四月の八日に花を供え
甘茶をかけて釈迦の誕生を祝う(灌仏会)。
青銅製の釈迦誕生仏です。
山本山雲作。

釈迦誕生仏 山本山雲作 青銅製


鳥区沙摩明王 (うすさまみょうおう) 4.0号 柘植


仏像

あらゆる不浄を除くとされ、鳥区沙摩法を行えばたたりをも除くことができるといわれる。
鳥区澁摩(うすしま)明王とも呼ばれる。
鳥区沙摩(うすさま)明王 の柘植製の仏像です。

鳥区沙摩明王 (うすさまみょうおう) 4.0号 柘植


毘沙門天 6.0号 柘植 金泥書


仏像

日本では特に東北地方で盛んに信仰され
多くの武将が武の神として信仰していた。
毘沙門天の柘植製の仏像です。

毘沙門天 6.0号 柘植 金泥書


七福神 弁財天 純銀製 舟谷喜雲作


仏像

弁才とは雄弁を意味し、弁舌・音楽・智慧・福徳の神として信仰をあつめる。
弁才天(弁財天)の純銀製の仏像です。
舟谷喜雲作。

七福神 弁財天 純銀製 舟谷喜雲作


木製彩色 中山鬼子母神


仏像

日蓮宗の寺院にまつられることが多く、
入谷雑司が谷が有名である。
鬼子母神の木製彩色の仏像です。

木製彩色 中山鬼子母神


韋駄天(いだてん) 柘植 6.0号


仏像

もとはヒンドゥー教のスカンダまたはケンダ神で
シヴァ神の子とされている。
韋駄天(いだてん)の柘植製の仏像です。

韋駄天(いだてん) 柘植 6.0号


木製彩色 大黒天 1.5号


仏像

元はシヴァ神の化身であり戦いの神であったが、
後に中国・日本に渡り、福の神として庶民に信仰されるようになる。
大黒天の木製彩色の仏像です。

木製彩色 大黒天 1.5号


阿修羅 4.0号 柘植


仏像

釈迦如来のもとに仏教とその信者を護る、八部衆の一人。
阿修羅の柘植製の仏像です。

阿修羅 4.0号 柘植

日時:2011年01月15日 10:55
続きを読む”阿修羅 4.0号 柘植”

慈母観音菩薩


仏像

清浄菩提心をあらわす白浄無垢の衣をまとい、稚子を抱き
慈愛あふれるたおやかな姿でたたずむ。
母なる菩薩として、子宝安産・幼な子の無病息災の
大願をかなえる。

慈母観音菩薩

日時:2011年01月14日 10:49
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不動明王像 鈴木信春作 蝋型青銅製


仏像

サンスクリット語で「アチャラ(動かない)」の名であり
「無動尊」ともいわれる。
不動明王の蝋型青銅製の仏像です。
鈴木信春作。

不動明王像 鈴木信春作 蝋型青銅製


白衣観音像 山本山雲作 青銅製


仏像

息災除病、安産・子育ての観音としても信仰されている。
白衣観音の青銅製の仏像です。
山本山雲作。

白衣観音像 山本山雲作 青銅製


千手観音菩薩 2.6cm 純金製 舟谷喜雲作


仏像

サンスクリット語ではサハスラ・ブジャ(千の手をもつもの)の名であり ヒンドゥー教のシヴァ神の別名でもある。
千手観音菩薩の2.6cm 純金製の仏像です。
舟谷喜雲作。

千手観音菩薩 2.6cm 純金製 舟谷喜雲作


十一面観音像 山本山雲作 青銅製


仏像

サンスクリット語ではエーカダシャ・ムッカ
(十一の顔)の名である。
十一面観音の青銅製の仏像です。
山本山雲作。

十一面観音像 山本山雲作 青銅製


聖観音菩薩 2.6cm 純金製 舟谷喜雲作


仏像

正しくは聖観世音菩薩、聖観自在菩薩の名である。
聖観音菩薩の2.6cm、ミニ純金仏像です。
舟谷喜雲作。

聖観音菩薩 2.6cm 純金製 舟谷喜雲作


如意輪観音像 山本山雲作 青銅製彩


仏像

如意とは如意宝珠(願うところのものすべてをかなえる珠)、
輪は法輪(仏法を戦車の車輪に例えたもの)を意味する。
如意輪観音の青銅製彩色の仏像です。
山本山雲作。

如意輪観音像 山本山雲作 青銅製彩


月光菩薩 鋳鉄製


仏像

薬師如来の子供であったとされ、
日光菩薩とともに薬師如来の脇侍である。
月光菩薩(がっこうぼさつ)の鋳鉄製の仏像です。

月光菩薩 鋳鉄製

日時:2011年01月07日 11:45
続きを読む”月光菩薩 鋳鉄製”

地蔵菩薩 総ツゲ 丸台 輪光背 3.5号 仏金泥


仏像

もとはインドの大地の神が仏教に
取り入れられたと言われる。
地蔵菩薩の総ツゲ製の仏像です。

地蔵菩薩 総ツゲ 丸台 輪光背 3.5号 仏金泥


勢至菩薩 合金製純金メッキ 牧田秀雲作


仏像

梵名はマハースターマプラープタ。
午年生まれのご本尊、勢至菩薩の
合金製純金メッキの仏像です。
牧田秀雲作。

勢至菩薩 合金製純金メッキ 牧田秀雲作


虚空蔵菩薩像 青銅製彩色 山本山雲作


仏像

梵名のアーカーシャ・ガルバは「虚空の母胎(蔵)」の意味を持つ。
虚空蔵菩薩の青銅製彩色の仏像です。
山本山雲作。

虚空蔵菩薩像 青銅製彩色 山本山雲作


普賢菩薩 2.6cm 純銀製 舟谷喜雲作


仏像

辰・巳年生まれのご本尊。
文殊菩薩と共に釈迦の脇侍として仏の徳を分担する。
普賢菩薩の純銀製の仏像です。
舟谷喜雲作。

普賢菩薩 2.6cm 純銀製 舟谷喜雲作


文殊菩薩 合金製純金メッキ 牧田秀雲作


仏像

片手に仏教の智慧を表す経巻を持つ。
悟りの智慧を象徴する菩薩で、人々に
悟り深い日々を授ける。
文殊菩薩の合金製純金メッキの仏像です。
牧田秀雲作。

文殊菩薩 合金製純金メッキ 牧田秀雲作


弥勒菩薩 青銅製彩色


仏像

梵名マイトレーヤは「慈から生まれたもの」・「悲しみの人」を意味し、 慈氏菩薩との名も持つ。
弥勒菩薩の青銅製彩色の仏像です。

弥勒菩薩 青銅製彩色

日時:2011年01月01日 12:04
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楠木地彫 六角台座 西立弥陀


仏像

西方の極楽浄土に住み、無限の光明で人々を永久に救済する。
阿弥陀如来の楠木地彫、西立弥陀像です。
台座は六角台座です。

楠木地彫 六角台座 西立弥陀


総ツゲ 八角台座 舟立弥陀 飛天御光


仏像

浄土宗や浄土真宗の本尊としてあつく信仰されている。
阿弥陀如来の総ツゲ製、舟立弥陀像です。
台座は八角台座です。

総ツゲ 八角台座 舟立弥陀 飛天御光


総白壇 八角台座 大日如来 金泥付 唐草御光


仏像

光明遍照と呼ばれ、その偉大なる智慧の光は
昼夜の別なく民を照らし、繁栄をもたらす。
大日如来の総白壇、金泥付の仏像です。
台座は八角台座、御光は唐草御光です。

総白壇 八角台座 大日如来 金泥付 唐草御光


大日如来 青銅製 山本山雲作


仏像

智慧と慈悲をもって宇宙を形成し、万物を生成化育する。
大日如来の青銅製の仏像です
山本山雲作。

大日如来 青銅製 山本山雲作


薬師如来 合金製純金メッキ 牧田秀雲作


仏像

治癒の仏であることより、医王尊の名も持つ。
薬師如来の合金製純金メッキの仏像です。
牧田秀雲作。

薬師如来 合金製純金メッキ 牧田秀雲作


阿弥陀如来像 青銅製 高村泰正作


仏像

大乗仏教の代表的な仏・如来。
阿弥陀如来の青銅製の仏像です。
高村泰正作。

阿弥陀如来像 青銅製 高村泰正作


一閻浮提第一立像 釈迦牟尼世尊


仏像

日蓮上人が伊豆に流された時から片時も手放さずに拝んでおられた釈迦像。
龍の口の御法難の際は懐に抱いて、佐渡に流された時は背中に背負って荒波を渡られ、佐渡塚原三味堂で雪を固めた壇を作り、安置して拝んでおられました。
お亡くなりになる時に本圀寺(現京都山科区)日朗上人に託され、以来700年お祀りされている釈迦像のレプリカです。

一閻浮提第一立像 釈迦牟尼世尊


七福神 福禄寿 純金メッキ製


仏像

道教における、幸福・封禄・長寿の三徳を
具現化した神に由来される、七福神の一人。
福禄寿の純金メッキ製の像です。

七福神 福禄寿


七福神 寿老人 純金メッキ製


仏像

中国宋代の人物の偶像化ともいわれる、長寿を授ける神。
寿老人の純金メッキ製の像です。

七福神 寿老人 純金メッキ製


七福神 恵比寿


仏像

商売繁盛・福の神として広く信仰される。
古くは大漁の神として、また農耕の神としても信仰された。

七福神 恵比寿

日時:2010年12月21日 11:27
続きを読む”七福神 恵比寿”

七福神 大黒天 純金製


仏像

元はヒンドゥー教のシヴァ神の化身、マハーカーラ である。
大黒天の純金製の仏像です。
舟谷喜雲作。

七福神 大黒天 純金製


弁財天 純金製


仏像

元はインドの河神、サラスヴァティーが仏教、神道に取り込まれた名称である。
弁財天の純金製の仏像です。
舟谷喜雲作。

弁財天 純金製

日時:2010年12月19日 10:34
続きを読む”弁財天 純金製”

七福神 布袋


仏像

日常生活用具を入れた袋を背負い杖を持つ。
人々の運命や天候を予知したという。
弥勒の化身ともいわれる。

七福神 布袋

日時:2010年12月18日 10:25
続きを読む”七福神 布袋”

子姿地蔵(光背金箔)


仏像

かわいらしい、子姿地蔵の仏像です。
光背金箔がアクセントになっています。

子姿地蔵(光背金箔)


伝教大師・天台大師


仏像

天台宗の開祖、天台大師と日本の天台宗の開祖、
伝教大師(最澄の大師名)の仏像です。
総白木、二躰一組です。

伝教大師・天台大師

日時:2010年12月16日 11:30
続きを読む”伝教大師・天台大師”

総白壇 八角台座 座釈迦 切金


仏像

日本ではゴータマ・シッダールタの俗称。
総白壇の座釈迦像です。
台座は八角台座、御光は天人御光です。

総白壇 八角台座 座釈迦 切金


総白壇 六角台座 大日如来


仏像

未・申年生まれのご本尊。
大日如来の総白壇の仏像です。
台座は六角台座です。

総白壇 六角台座 大日如来


七福神 毘沙門天 純銀製


仏像

天部の仏神。四天王の一尊の武神である。
日本では施福の神として、七福神の一尊に数えられる。
毘沙門天の純銀製の仏像です。
舟谷喜雲作。

七福神 毘沙門天 純銀製


2.6cmミニ純金仏像シリーズ 虚空蔵菩薩


仏像

丑・寅年生まれのご本尊。
右手に智慧を象徴する剣を持ち左手に福徳をあらわす蓮華を持つ。
虚空蔵菩薩の2.6cmミニ純金仏像です。
舟谷喜雲作。

2.6cmミニ純金仏像シリーズ 虚空蔵菩薩


木製彩色 地蔵尊


仏像

様々な現世利益をもたらし、
地獄からの救済者として存在する。
木製彩色の地蔵尊の仏像です。

木製彩色 地蔵尊

日時:2010年12月10日 12:47
続きを読む”木製彩色 地蔵尊”

純金中七 大日如来 肌粉


仏像

未・申年生まれのご本尊。
大日如来の純金箔押、肌金粉仕上げの仏像です。
台座は七重台座です。

純金中七 大日如来 肌粉


総白木 八角台 十一面千手観音 輪光背


仏像

子年生まれの守護本尊、十一面千手観音の
総白木の仏像です。
千手観音は日本語では、十一面千手観音、千手千臂観音、十一面千手千眼観音、千手千眼観音など様々な呼び方があります。

総白木 八角台 十一面千手観音 輪光背


総ツゲ 興教大師 淡彩色


仏像

真言宗中興の祖にして新義真言宗始祖。
正式には正覚坊 覚鑁(しょうかくぼう・かくばん)上人 の名。
淡彩色、総ツゲの興教大師の仏像です。

総ツゲ 興教大師 淡彩色


FRP製 釈迦定印


仏像

掌を上に向け、左右の手を重ねて親指を
合わせた禅定印を結ぶ、釈迦如来坐像。
青銅色 FRP製 現品1点のみです。

FRP製 釈迦定印

日時:2010年12月06日 10:49
続きを読む”FRP製 釈迦定印”

花御堂・誕生仏・たらいセット


仏像

釈迦の誕生を祝う、潅仏会用セット。
花御堂(高さ45cm)
誕生仏(身丈15cm)
たらい(口径21cm)

花御堂・誕生仏・たらいセット


普賢菩薩 厨子入


仏像

辰・巳年生まれのご本尊。
普賢菩薩の厨子入、合金製純金メッキの仏像です。
渡辺景秋作。

普賢菩薩 厨子入

日時:2010年12月04日 11:21
続きを読む”普賢菩薩 厨子入”

三尺阿弥陀如来像


仏像

梵名は無量を意味し、無量光仏・無量寿仏の名も持つ。
阿弥陀如来の青銅製仏像。
山本山雲作。

三尺阿弥陀如来像

日時:2010年12月03日 11:16
続きを読む”三尺阿弥陀如来像”

白衣観音像


仏像

釈迦の待者としてもあらわれ、常に白蓮の花中にある。
白浄無垢の衣で全身をおおう慈悲あふれた姿から、
すべての観音の聖母ともされている。

白衣観音像

日時:2010年12月02日 10:33
続きを読む”白衣観音像”

普賢菩薩 純金製


仏像

慈悲や修行を司り、人々にこれを授ける。
普賢菩薩の純金製仏像です。
松久宗琳作。

普賢菩薩 純金製

日時:2010年12月01日 10:42
続きを読む”普賢菩薩 純金製”

2.6cmミニ純金仏像シリーズ 釈迦如来


仏像

正式名称は釈迦牟尼世尊。
釈迦(あるいはサキャ)は種族・国家の名であり
牟尼は聖者、世尊は如来を意味する。

『釈迦族出身の聖者で如来になった人』

2.6cmミニ純金仏像シリーズ 釈迦如来


二尺三寸文殊菩薩


仏像

卯年生まれのご本尊、
文殊菩薩の青銅製・茶上味色の仏像です。
山本山雲作。

二尺三寸文殊菩薩

日時:2010年11月29日 10:31
続きを読む”二尺三寸文殊菩薩”

青銅製彩色 大日如来像


仏像

未・申年生まれのご本尊。
密教においてはすべての如来や菩薩の根本仏であり、
最高の仏とされている、大日如来の青銅製彩色仏像です。

青銅製彩色 大日如来像


不動明王 純銀製


仏像

酉年生まれのご本尊。
不動明王の純銀製の像です
舟谷喜雲作、約2.6cmの仏像です。

不動明王 純銀製

日時:2010年11月27日 11:20
続きを読む”不動明王 純銀製”

純金製阿弥陀如来 東


仏像

阿弥陀如来は無量を意味する。
光は十万の空間的広がりを示し、
生命は三世におよぶ時間的無限性をあらわす。
智慧、慈悲ともに限りなく人々に注がれ、至福へと導く。

純金製阿弥陀如来 東


親鸞聖人


仏像

浄土真宗の開祖・親鸞聖人(1173〜1262)。
明治9年に明治天皇より「見真大師」(けんしんだいし)
の諡号を追贈される。

親鸞聖人

日時:2010年11月24日 12:36
続きを読む”親鸞聖人”

日蓮聖人


仏像

日蓮宗の開祖・日蓮聖人(1222〜1282)。
死後に日蓮大菩薩と立正大師の諡号を追贈される。

日蓮聖人

日時:2010年11月24日 12:00
続きを読む”日蓮聖人”

木製彩色 弘法大師


仏像

真言宗の開祖、空海の木製彩色像です。
弘法大師の名は921年に醍醐天皇より賜ったものです。

木製彩色 弘法大師

日時:2010年11月23日 10:43
続きを読む”木製彩色 弘法大師”

青銅製 勢至菩薩像


仏像

午年生まれのご本尊。
慈悲の観音菩薩と共に阿弥陀仏の脇侍として、智慧の光を以ってあまねく一切を照らし、人々を迷いや苦しみから救う。臨終に来迎し、極楽に引導をする。

青銅製 勢至菩薩像

日時:2010年11月22日 10:34
続きを読む”青銅製 勢至菩薩像”

馬頭観音像


仏像

密教の変化観音の1つで、衆生の無知や苦悩を断じ、諸々の悪を破壊する。
明王形の憤怒尊として表されるため、馬頭明王と呼ばれることもある。

馬頭観音像

日時:2010年11月20日 12:21
続きを読む”馬頭観音像”

十一面観音像


仏像

人々のさまざまな苦難に対応し得るべく、すべての方向に顔を向けた観音。
変化観音の中ではもっとも早い時期に考えだされた。
十一の顔には人々の苦しみを救う力が秘められている。

十一面観音像

日時:2010年11月18日 12:14
続きを読む”十一面観音像”

三尺聖観音像


仏像

多くの観音の中の基本。
6〜7世紀に現れた十一面観音や千手観音などの
変化観音と区別するため、聖観音と呼ばれる。

三尺聖観音像

日時:2010年11月18日 11:31
続きを読む”三尺聖観音像”

二尺三寸千手観音像


仏像

子年生まれのご本尊。
手千眼を持ち、すべての人をもれなく救う。
千眼は化導の智が円満で一切の苦しみを 同時に見通す。
千手は慈悲の拡大を表し、変幻自在に 済度の営みを起こす。

二尺三寸千手観音像

日時:2010年11月17日 14:54
続きを読む”二尺三寸千手観音像”

誕生仏



仏像

右手で天を、左手で地を指差す
「天上天下唯我独尊」の姿の誕生仏。
長田晴山作 青銅製

誕生仏の仏像

日時:2010年11月16日 11:22
続きを読む”誕生仏”

七福神 福禄寿



仏像

中国の仙人に由来するといわれる。
経巻を結びつけた杖を持つ。
純金製 舟谷喜雲作

七福神 福禄寿の仏像

日時:2010年11月15日 11:00
続きを読む”七福神 福禄寿”

弁財天



仏像

元はインドの河神。音楽・智恵・財物の神として広く信仰される女神。 通称「弁天さん」と呼ばれている。
恵みを与える福徳神、水で金を洗うと金運が授かるという「銭洗弁天」が有名。

弁財天の仏像

日時:2010年11月14日 11:37
続きを読む”弁財天”

鬼子母神



仏像

鬼神・般闍迦の妻で、500人の子をもっていたとされ、人間の子供をさらっては食う、凶暴な悪神でした。人々の嘆き悲しむ姿に心を痛めた釈迦が鬼子母神の末娘を隠してしまったところ、鬼子母神は半狂乱になって子供を探し、それでも見つからないとなると、子供を奪われた人間の母親と同様に嘆いたといいます。
『500人の子供の中のたった一人がいなくなっても悲しいのなら、より少ない子供を奪われる人間の母親は、どれほど悲しい思いをしているか』を釈迦に説かれ、改心し、子供を守る善神になったという話はたいへんよく知られています。

鬼子母神の仏像

日時:2010年11月13日 12:20
続きを読む”鬼子母神”

大黒天



仏像

左肩に大きな袋を背負い、右手に打ち手の小槌を持ち、米俵の上に立つ。
福徳の神として民間信仰の対象となっている。

大黒天の仏像

日時:2010年11月12日 11:45
続きを読む”大黒天”

仁王 阿



仏像

この仏面は南大門の左右に対に立って奈良東大寺をまもっている日本一の大きな仁王さんの顔を模して鋳造謹製したものであります。
西側が「阿」で金剛力士、東が「吽うん」で密迹力士共に鎌倉時代の名仏師 運慶と快慶の力作でじつに巧につくられ生き生きとして力がこもっています。

仁王 阿

日時:2010年11月11日 10:41
続きを読む”仁王 阿”

不動明王



仏像

右手の利剣は浄菩提心の智慧を、左手の羂索(縄)は
慈悲をあらわす。
煩悩を焼き尽くす迦楼羅炎という火炎の光背を背負う。

不動明王像

日時:2010年11月10日 12:18
続きを読む”不動明王”

観世音菩薩



仏像

観世音とは世間の人々の救いを求める声、音を観じ
救済の手を差し伸べるという意味。

観世音菩薩像

日時:2010年11月09日 11:15
続きを読む”観世音菩薩”

地蔵菩薩



仏像

虚空蔵菩薩の空(くう)に対し、地蔵菩薩は地を
象徴する。

釈迦入滅後、弥勒下生までの無仏の時代に
現れ、六道に輪廻し苦しむ衆生を救済する。

地蔵菩薩

日時:2010年11月08日 11:06
続きを読む”地蔵菩薩”

水子(子安)地蔵の仏像



仏像

子安地蔵、水子地蔵は、三途の川で迷う幼な児を
賽の河原で救済し、
大慈の心をもって浄土へと導く。

水子(子安)地蔵の仏像


勢至菩薩



仏像

午年生れの守護本尊
観世音菩薩と共に阿弥陀如来の脇侍として並ぶ勢至菩薩
智恵の光を以ってあまねく一切を照らし、人々を迷いや苦しみから救う冠に宝瓶を乗せた姿が特徴。

勢至菩薩の仏像

日時:2010年11月06日 10:56
続きを読む”勢至菩薩”

虚空蔵菩薩



仏像

丑・寅年生まれのご本尊。
宇宙のように広大無辺。
無尽の宝庫のように無量の福徳や智慧を備え、
人々にこれを与え、諸願を満足せしめる。

虚空蔵菩薩の仏像

日時:2010年11月05日 12:37
続きを読む”虚空蔵菩薩”

弥勒菩薩



仏像

人々の救済のため菩薩として兜率天で瞑想・修行をしている。
釈迦入滅後56億7千万年の後に如来となってこの世に下生し、未来仏・弥勒菩薩は華林園の竜華樹下悟りを開き、「弥勒仏」となってお釈迦様に代わりこの世界を救済 永遠の楽土に導いてくれ、また釈迦の時代に救済からもれた人々をも救います 。

弥勒菩薩の仏像

日時:2010年11月01日 11:32
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弘法大師



仏像

真言宗の開祖・空海(774〜835)。
弘法大師の諡号は921年に醍醐天皇より賜る。

弘法大師の仏像

日時:2010年10月29日 11:08
続きを読む”弘法大師”

癒し仏



仏像

心が和むやさしく愛くるしいお顔立ち 。

癒し仏

日時:2010年10月28日 11:20
続きを読む”癒し仏”

阿閦如来



仏像

西方極楽浄土の阿弥陀如来に対し、薬師如来と共に東方仏国土の仏として名高い。不動の菩提心を司り、厳しい修行で得た徳によって無病息災を授ける。
密教では金剛界五仏に数えられ、金剛界曼荼羅の東方に配置される。

阿閦如来の仏像

日時:2010年10月27日 16:35
続きを読む”阿閦如来”

大日如来



仏像

未・申年生れの守護本尊 全宇宙を照らす大日輪・大日如来 大光明を放ち 人々を悟りの境地へと導く。
密教ではすべての如来や菩薩の根本仏 最高の仏とされる大日如来(知)を象徴する金剛界(理)を象徴する。
胎蔵界の両界曼荼羅の中でも大日如来は主尊として座を占める。

大日如来の仏像

日時:2010年10月25日 10:41
続きを読む”大日如来”

毘沙門天


仏像

須弥山中腹の北側に住み、夜叉を率いて北方を守護する神。
元はヒンズー教の神で、四天王・十二天にも数えられる。

毘沙門天の仏像

日時:2010年10月22日 10:26
続きを読む”毘沙門天”

文殊菩薩


仏像

卯年生れの守護本尊 『文殊の智恵』という表現であらわされるように智恵を第一につかさどる。右手には経巻を左手には智恵の鋭さを示す剣を持ち人々に悟り深い日々を授ける。
文殊菩薩

日時:2010年10月18日 17:34
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阿弥陀如来



【戌 亥の守護本尊】阿弥陀如来 (あみだにょらい) 阿弥陀如来は 西方十万億土をへだてたところにある極楽浄土の主尊 無量光仏 無量寿仏とも呼ばれ 菩薩業で四十八の行業を成し如来として四十八の大願を持つ 一心に阿弥陀の名号を唱え誓願する衆生は必ず救済され極楽での往生が約束されるという
阿弥陀如来の仏像

日時:2010年10月15日 18:35
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薬師如来


仏像

東方浄瑠璃世界の教主。その身より光明を放ち、十二の大願を説いたと言われる。主に病気平癒、特に眼病治癒の信仰が多い。日光・月光菩薩を脇侍とする。
薬師如来

日時:2010年10月13日 18:09
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今年の干支(丑年生れ)の守護本尊【虚空蔵菩薩】



宇宙のように広大無辺,衆生の欲するものすべてを与える虚空蔵菩薩 無尽の宝庫のように無量の福徳や智恵を備え この御仏の仏道を収めると記憶の力が増すといわれる 虚空蔵菩薩


謹賀新年


新年明けましておめでとうございます。
今年も仏像のアートメモリーご愛好の程よろしくお願いします。


日時:2009年01月05日 10:32
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年末年始休み


アートメモリーでは、12月30日〜1月4日年始年末お休みです
注文は事務所の営業に関係なく随時受け付けております。


日時:2008年12月26日 18:28
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2009年仏像カレンダー


2008年もあと50日あまりとなりました。
毎年大変好評頂いております2009年度版仏像カレンダープレゼント募集のお知らせです。

仏像カレンダープレゼント


日時:2008年11月08日 18:13
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純銀製仏像ペンダント


表には子年生まれの守護本尊である千手観音のお姿が彫られ 裏には千手観音を示す梵字が彫られている純銀製ペンダント。 守護本尊を御守としていつも身につけていられます。 十二支の守護本尊揃っております
                 ペンダント(裏)へ
                 十二支仏像ペンダントへ


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定休日は土・日・祝祭日
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