アートメモリーのブログ、2011年09月のアーカイブ

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五百羅漢とは


五百羅漢とは、究極の悟りである阿羅漢果を得た五百人の聖者のことをいいます。
「増一阿含経」や「十誦律」からは釈迦には五百人の比丘が行動をともにしていたことが窺われ、「五分律」には釈迦入滅後の第一回仏典結集に五百人の弟子が参集したことが記されています。また「法華経」の「五百弟子受記本」には釈迦が五百人の羅漢に対し仏法を伝えたことが説かれています。
しかし、インドでは五百羅漢の造像はなく、このような五百人の聖者にまつわる説話が、中国において五百羅漢の成立につながったと考えられています。


2011年09月24日

十六善神とは


十六善神とは「大般若経」、またはこの経を読誦する人を守護する護法神であり、般若十六善神・十六薬叉将・十六夜叉神・十六神王などの呼び名もあります。
日本においての信仰は、大般若会の本尊として安置される釈迦如来もしくは般若菩薩を守護する眷属としてあらわれるのみで、各尊が単独で信仰されることはありませんでした。
十六の尊名は諸経において一定せず、四天王と十二神将とをあわせた総称と解釈するものもあります。
金剛智訳「般若守護十六善神王形体」に基づいては以下の十六尊になります。

 堤頭擺宅・毘楼勒叉・摧伏毒害・増益・歓喜・除一切障難・抜除罪垢・能忍・吠室羅摩拏・毘楼博叉・離一切怖畏・救護一切・摂伏諸魔・能救諸有・師子威猛・勇猛心地


2011年09月23日

二十八部衆とは


二十八部衆とは千手観音の眷属であり、千手観音を信仰する者をまもる、二十八に部類される護法善神です。
「千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経」では千手観音の眷属として三十五の諸天の名を列記していますが、「千手観音造次第法儀軌」ではこれを二十八に部類しており、二十八部衆といわれる由来はここにあるとされています。
その二十八の神は以下になります。

・那羅延堅固王(ならえんけんごおう)
・密迹金剛力士(みつしゃくこんごうりきし)
・東方天(とうほうてん)
・毘楼勒叉天王(びるろくしゃてんおう)
・毘楼博叉天王(びるばくしゃてんおう)
・毘沙門天王(びしゃもんてんおう)
・大梵天王(だいぼんてんおう)
・帝釈天(たいしゃくてん)
・大弁功徳天(だいべんくどくてん)
・摩和羅王(まわらおう)
・神喪天(じんもてん)
・金毘羅王(こんぴらおう)
・満善車王(まんぜんしゃおう)
・畢婆伽羅王(ひつばからおう)
・五部浄居天(ごぶじょうごてん)
・金色孔雀王(こんじきくじゃくおう)
・散脂大将(さんしたいしょう)
・難陀竜王(なんだりゅうおう)
・沙羯羅竜王(さからりゅうおう)
・迦楼羅王(かるらおう)
・金大王(きんだいおう)
・満仙王(まんせんおう)
・摩ご伽羅王(まごからおう)
・摩醯首羅王(まけいしゅらおう)
・乾闥婆王(けんだつばおう)
・阿修羅王(あしゅらおう)
・緊那羅王(きんならおう)
・婆藪仙人(ばすせんにん)


2011年09月22日

八部衆とは


八部衆(はちぶしゅう)とは釈迦如来の支配下となり、仏法を守護する八種類の護法善神の総称で、天龍八部衆または龍神八部衆ともいわれます。
それぞれの名称は、一般には「法華経」第三「譬喩品」や「金光明最勝王経」等に基づき
「天・龍・夜叉・乾闥婆(けんだつば)・阿修羅・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩睺羅迦(まごろか)」
といいます。


2011年09月21日

十二神将とは


十二神将とは薬師如来の眷属である十二の夜叉の総称です。
「薬師瑠璃光如来本願功徳経」では、釈迦が薬師如来の本願と功徳につき説法を行ったときに、感動した十二の夜叉が「今後この経の流布するところ、さらには薬師如来の名号を唱えるものがあらば、これを守護し一切の苦難を除くとともに諸々の願を成就させよう」と誓ったとされています。
その十二の夜叉は以下になります。

宮毘羅・伐折羅・迷企羅・安底羅・摩尼羅・珊底羅・因達羅・波夷羅・摩虎羅・真達羅・招杜羅・毘羯羅


2011年09月20日

十二天とは


十二天とは東西南北を八方に分け、それぞれの方角を守護する八神に、天地日月の四神を加えた方位を守護する神々です。
もとは古代インドの異教の神々でしたが、仏教に取り込まれ、とくに密教において、修法が行われる壇所に勧請し、魔性が侵入することを防ぎ、修法空間の聖性を保つ役割を担った護法神です。

帝釈天…東
火天…東南
焔魔天…南
羅刹天…西南
水天…西
風天…西北
毘沙門天…北
伊舎那天…東北
梵天…天
地天…地
日天…日
月天…月


2011年09月19日

深沙大将とは


深沙大将(じんじゃだいしょう)とは仏教の護法善神で、別名を深沙神、深沙神王ともいいます。
深沙大将の日本への伝来は、平安時代初期に唐から帰った密教僧・常暁によってなされました。「常暁和尚請来目録」には深沙大将は玄奘三蔵が天竺に赴く途中、流沙(砂漠)において遭遇し、玄奘を苦難から救った護法神であると記されています。
そのすがたは、左手に蛇を巻きつけ、髑髏の瓔珞を首にかけ、腰には獣皮のみを着ける、筋骨隆々とした鬼神のすがたであらわされます。


2011年09月18日

栄西とは


栄西(えいさい)は日本臨済宗の祖といわれる高僧です。
保延七年(1141年)に備中に生まれ、十四歳のときに比叡山で登壇受戒し、天台、密教を学びました。
仁安三年(1168年)に入宋し、天台の新しい章疎三十余部などをともない帰国し、文治三年(1187年)に再び入宋し天台山で虚庵懐敞の臨済宗黄竜派の後継者となりました。
その後帰国し、京で禅宗の布教につとめましたが、日本達磨宗と混同され、朝廷から禅宗停止が命ぜられました。
これに対し、「興禅護国論」を著し、禅宗の宗旨を説明し、一方では鎌倉幕府の帰依を得て幕府関係の仏事の導師をつとめ、源頼家の外護で京都に建仁寺を建てました。
その後、朝廷は建仁寺に天台・密教・禅の三宗を置くことを認め、栄西は重源の跡をつぎ、東大寺勧進職になりました。


2011年09月17日

重源とは


重源(ちょうげん)とは鎌倉時代初期に活躍した高僧です。
保安二年(1121年)に生まれ、醍醐寺で出家し、密教を学ぶとともに、法然から浄土教を学びました。
仁安二年(1167年)に入宋し、その翌年に栄西らとともに帰国しました。
また南都燃亡後の東大寺再建にあたり、養和元年(1181年)に東大寺勧進職に任ぜられ、文治元年(1185年)に大仏開眼供養、建久元年(1190年)に大仏殿上棟、建仁三年(1203年)に東大寺総供養が行われました。

重源の信仰は念仏によるものであり、人々に「阿弥陀仏号」を与え教化し、自らを南無阿弥陀仏と称しました。
東大寺の再建にあたっては大仏様と称される新しい中国の建築方式を導入し、中国人の工人を起用しました。


2011年09月16日

源信とは


源信とは浄土教思想を明確にした平安時代中期の天台の高僧です。
天慶五年(942年)に大和に生まれ、良源に師事し、十三歳で得度しました。その後横川の恵心院に隠棲しました。
このころより、念仏結社の思想に触発され、「往生要集」を著しました。
その内容は流転輪廻する六道の迷いを捨て去り、阿弥陀仏のいる西方極楽浄土に往生することをすすめるもので、そのためには念仏を中心とすればよいとはじめて明確にした著作です。そしてこれが日本の浄土教思想の基盤を築くものとなりました。


2011年09月15日

空也とは


空也(くうや)とは、諸国を阿弥陀仏の名号を唱えながら行脚した、延喜三年(903年)に生まれたとされる、平安時代中期の僧です。
巷で民衆に念仏を広め歩いたことより、市聖(いちのひじり)・阿弥陀聖などとも呼ばれました。
また、各地の遊行途次に、道路の修理や架橋などの土木事業も行いました。
後に六波羅蜜寺となる西光寺を創建し、天禄三年(972年)その地で没しました。


2011年09月14日

円仁とは


円仁(えんにん)とは平安時代の高僧で、天台宗山門派の祖とされる人物です。
延暦十三年(794年)に下野に生まれ、最澄に天台を学び、承和五年(838年)に入唐しました。
全雅から密教を修得し、帰国後、延暦寺座主に任じられました。
また、堂塔の建立や、様々な法会をはじめるなどをして、比叡山に天台密教の基礎を築きました。
著作としては入唐中の旅行記である『入唐求法巡礼行記』が有名です。


2011年09月13日

鑑真とは


鑑真(がんじん)とは日本の律宗の開祖である、中国・唐代の高僧です。
唐・嗣聖五年(688年)に揚州で生まれ、長安の実際寺で具足戒を受けました。
その後各地で仏教諸宗を学び、やがて授戒を行い、伝戒師としてその名が広まりました。
その頃の日本では戒律の整備の必要性が高まり、入唐した僧栄叡・普照により来日を懇願され、日本への渡航を決意しました。
その後幾多の渡航失敗を乗り越え、来日した後、東大寺大仏殿前に臨時の戒壇を設け、聖武天皇・光明皇太后をはじめ多くの僧に戒を授けました。その翌年には大仏殿に西に戒壇院をつくり、大僧都に任じられました。
また、唐招提寺を創建し、戒律の根本道場とし、後に朝廷から大和上の尊号を受けました。


2011年09月12日

行基とは


行基(ぎょうき)とは奈良時代に民衆を中心に仏教の布教に尽力し、また灌漑や土木事業も行った高僧です。
持統天皇二年(688年)に大阪に生まれ、薬師寺で唯識を学びました。
その後、各地で民衆に布教活動をするとともに、人々を動員し、道路や橋・ため池などを造営しました。
このことが原因で、僧尼令に反しているとして布教を禁じられました。
しかし、その後も民衆の信望はあつく、その動員力に注目した政府は、禁圧をゆるめ、東大寺大仏造営の勧進職にい登用しました。
そして僧侶として最高位である大僧正に任ぜられ、聖武天皇に菩薩戒を授けました。


2011年09月11日

玄靴箸


玄掘覆欧鵑椶Α砲箸蓮奈良時代前半に活躍した、法相宗六組の一人にも数えられる法相宗の高僧です。
義淵に唯識を学び、吉備真備らとともに遣唐使船で入唐し、数多くの仏像・経論をたずさえ帰国しました。
その当時は国内では仏教による国家の安泰が期待され、聖武天皇の政治の場に登用され、政治顧問的な地位を得ました。そのことにより反感を買い、藤原広嗣の乱が起こり、乱の平定後、筑紫観世音寺に左遷されその翌年に亡くなりました。
玄靴唐からもたらした経論は「開元釈教録」収載の五千余巻に相当し、奈良時代の仏教文化に大きな影響をあたえました。


2011年09月10日

世親とは


世親(せしん)とは四〜五世紀のガンダーラ出身の唯識派の仏教学者で、梵名はヴァスバンドゥといいます。天親とも呼ばれ唯識教理の基礎を築いた無著の弟でもあります。
はじめは小乗仏教の説一切有無を学び、その後無著の感化を受け、大乗仏教に転じ、唯識思想を大成しました。
大乗に転じてから著した、『唯識三十頌』は、後に法相宗の所依の根本論書となりました。


2011年09月09日

無著とは


無著(むじゃく)とは梵名をアサンガという、インド大乗仏教の代表的な論師で、無着とも書かれます。
四世紀のガンダーラにバラモンの子として生まれ、部派仏教の化地部において出家をしました。
唯識派の三大論師のひとりであり、唯識教理の基礎を築きました。
伝説では、はじめは小乗仏教を学びましたが満足できず、弥勒のもとにつき大乗の空観思想を学んだといわれています。
主な著作として「摂大乗論」などがあります。


2011年09月08日

馬鳴とは


馬鳴(めみょう)とは、梵名をアシュヴァゴーシャという古代インドの仏教僧侶・仏教詩人です。
もとはバラモンの論客でしたが脇尊者(または富那奢)に論破されてから仏教を研究し、菩薩の称号を得たといわれています。
とくに釈迦の生涯を題材とした「ブッダ・チャリタ」という叙事詩は古代インド文学にその名をとどめています。


2011年09月07日

維摩とは


維摩(ゆいま)とは維摩経の主人公である人物で、梵名はヴィマラキールティーといい、維摩詰(ゆいまきつ)・維摩居士とも称されます。
釈迦とほぼ同じ年代に生きた、毘舎離城(ヴァイシャリー)の富豪であるとされています。
在家の仏教徒でありながら菩薩や釈迦の弟子を凌ぐほど大乗仏教の真理に至っていたといわれ、その存在は在家の仏教徒の理想的な姿とされ、信仰を集めています。
維摩経に登場する、病床にある維摩を文殊菩薩が見舞い、仏教について問答する場面はことに有名です。


2011年09月06日

須菩提とは


須菩提(しゅぼだい)とは釈迦の十大弟子の一人で、祇園精舎でなされた釈迦の説法を聞き釈迦の弟子になったといわれています。
仏教の中でとても重要な概念とされる「空」につき精通していたことから解空第一と呼ばれます。


2011年09月05日

阿難陀とは


阿難陀(あなんだ)とは釈迦の十大弟子の一人で、阿難とも呼ばれます。
阿難陀は常に釈迦のそばにおり、数多くの説法を聞き、それを記憶していました。故に、ほとんどすべての経典は「わたしはこのように聞いている」という言葉ではじまりますが、この「わたし」とは阿難陀のことだといわれています。
また、これらのことより多聞第一と呼ばれます。
阿難陀は釈迦の叔母の出家が、女性であることを理由になかなか認められなかったのを、釈迦を説得し実現させたといわれています。
これ以降女性の仏教教団が成立することになりました。


2011年09月04日

目犍連とは


目犍連(もつけんれん)とは釈迦の十大弟子のひとりで、名前を略し目連とも呼ばれます。
舎利弗の隣村に住んでいたといわれており、舎利弗とともに釈迦に弟子入りしました。
神通力に優れていたといわれており、神通第一と呼ばれました。
盂蘭盆会は目連が神通力によって地獄におちた母を救ったという故事にちなみはじめられたといわれています。
その最後は、修行中のため町を歩いていたところを、他の教団の者に襲われて死んだといわれています。


2011年09月03日

舎利弗とは


舎利弗(しゃりほつ)とは釈迦の十大弟子のひとりで、「般若心経」をはじめとし多くの経典で釈迦の問いかける相手として登場します。
早くから学徳が優れていることで知られており、釈迦のことを知ると目連(目犍連)とともに弟子入りし、その弟弟子二百人ほども後を追い弟子入りしたといわれています。
智慧第一と尊敬をされていましたが、釈迦より早くに亡くなってしまったといわれています。


2011年09月02日

羅睺羅とは


羅睺羅(らごら)とは釈迦と妻・ヤショーダラーとの間に生まれた実子であり、釈迦の十大弟子のひとりです。
羅睺羅は釈迦がさとりをひらいた後、はじめて故郷に帰ったときに出家をしたといわれています。
釈迦の子として特別視されることを嫌い、より厳しく戒律を守ったことから密行第一と呼ばれています。


2011年09月01日
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